京都で発見!革製「珍品」絵はがきのミステリー 120年前の大事件が描かれ、宛先は大物実業家か
三河台は現在、大規模複合施設「東京ミッドタウン」(東京都港区)が建つ一帯。では、児嶌勇之介とは何者なのだろうか。 矢原さんは、宛名は字の間違いか何かで、のちに希代の切手収集家として郵趣界で知られる実業家の「小島勇之助」のことではないかと推察する。 その小島であれば、京都との縁は深い。上京区役所などが編集した「上京-史蹟と文化 59号」(2020年発行)に生い立ちや人となりが詳しく書かれていた。 1889年、東京生まれで、衆議院議員を務めた山中隣之助を実父に持つ。東京帝国大学医科大学に入り、陸上競技の400メートルで日本新記録を樹立するなど活躍。卒業後は東京山中銀行や大阪舎密工業(現在の大阪ガス)、松竹キネマ会社の役員を務めた。 1920(大正9)年、京都御所の東にある梨木神社(上京区)近くの染殿町に移り住んだ。同じ時期、町内にはノーベル賞を受賞することになる湯川秀樹がいた。小島は切手収集家として、資金に糸目をつけず内外の著名なコレクションを買い求めたという。 絵はがきに話を戻そう。もっとも、児嶌勇之介が小島勇之助であると仮定するならば、この品は日比谷焼き打ち事件が起きた1905年、東京・麻布の「岡倉様方」にいた16歳の少年に宛てられた絵はがきだった、ということになる。 気になるのは謎の差出人「S.G」。矢原さんは「革製の絵はがきを買い、コジマを君付けしていることからすると、S.Gさんも相当な立場の人ではないか」と想像をふくらませる。 1枚の絵はがきが、120年の時を経て伝えるもの。好事家のラップナウさんは「ベリーグッドカードだ」と笑顔を浮かべ、大切に保管している。