地味な「地歴部」をテレビ特番が組まれるほど変貌させた高校教師
「アントレプレナー部の誕生」0→1を求めて
地域デザイン部の地域マルシェへの参加回数が増える中一つの課題が出てきました。「地域とつながり始めているものの、卸売りばかりして自分たちで新商品が作れていないよね」。ここで、当時の学校にあったもう一つの部活動に目をつけました。その名も「ファ部」。3Dプリンターやレーザーカッターなどでデジタル・ファブリケーション(モノづくり)をする部活動です。こちらの部活動は、「趣味で作っているだけでそこまで外に作品を出す機会もない」という課題がありました。 我々の地域デザイン部とファ部が組めば、「生徒の力でモノを作るところから人に届けるところまでの一連の流れが確立できる」ということに気づき連携を始めました。県からの若者向け活動支援補助金も獲得し、マルシェ出店用の物品や商品作成用の素材や機器も揃えて、両部員が何度も商品開発会議& 製作をしながら「山陰三ツ星マーケット」という鳥取のランドマークデパートの目の前で行われる大きな地域マルシェに出展することができました。 こうした活動の最中で3年目も終わる頃に、当時の副校長から呼ばれて相談がありました。「地域デザイン部とファ部の2つの部活動を混ぜて、“ アントレプレナー部(≒起業部)”みたいにしたらどうだ」。私や他の顧問も2つ返事に「面白いですね」とお答えしました。翌年、もともと部員も0人の「地歴部」という名称だった部活動は、「地域デザイン部」という名称を経て、いつの間にか10~20人を抱える「アントレプレナー部」に変貌しました。
「生徒が生徒をプロデュース」モノを作って、コトを起こしに
アントレプレナー部の誕生に前後して、ずっと気になっている生徒がいました。遠足などの時にもずっと一人でベンチに座ってスマホをいじっていたので、「何をしているの?」と聞いたら「曲を作っている」とのこと。曲を聞かせてもらうと、なかなかの出来栄え。文化祭のクラスの出し物で「ホラー空間でオリジナルホラー映画を上映する」という企画でもエンディングテーマ曲をオリジナルで作ってもらいました。あまりにも良い曲を書くものでこれはもっと広く知ってほしいと思った私は、アントレプレナー部員に相談して天才ピアニストとしてかの生徒をプロデュースする企画を立ち上げました。 具体的には、生徒が作ったオリジナル曲のミニアルバムをアントレプレナー部員がリスクをとって製作し販売する& マルシェでの演奏会も企画するというものでした。メッセージやジャケットなどもきちんと盛り込んだ想いのこもったCD は数十枚ありましたが全て即日売り切れ、演奏会の評判も上々でした。 面白いことに、このたった1回だけ街中にPRしたことで社会にうねりが生まれます。オリジナル曲を書いた子が地元紙に取り上げられ、それを見たテレビ局のアナウンサーが自身の番組で天才ピアニストとして当該生徒やプロデュースした部員を取り上げた特番を制作してくれました。そこからカフェなどでのCD 収録曲の演奏依頼や駅前商店街でのBGMとして採用してもらえるなど、最初からは考えられないほど活躍の幅が広がりました。 また翌年にも、今度は部員の中で虫の模様などを纏った服を着た動物の絵を独特の画風で描く生徒が現れたため、「それ、1枚1000円くらいで売ってみたらどう?」と提案したところ本人も快諾。部員総出で「高校生アーティスト現る!」とチラシを作るなど総出で応援しました。するとまたもや新聞→テレビで特番の流れが生まれ、絵を描いている生徒がやってみたかった「個展」を開く機会にも恵まれました。最終的には鳥取の成人式の看板絵の製作までご依頼を頂くなど物凄い活躍をすることになりました。