「軍艦島は崩壊の危機に瀕している。支えがなくなったら…」元島民が語る閉山50年の端島の現状と島のこれから
通称「軍艦島」と呼ばれる端島が閉山して2024年で50年。軍艦島の歩みを振り返る企画「端島『軍艦島』閉山50年」。今回は島の歴史と記憶を伝えるナビゲーターとして活動する元島民が見た島の今と、これからについて聞いた。 【画像】ここでしか食べられない!軍艦島スイーツも人気
連日、超満員の上陸ツアーと人気の「採炭できちゃう」オリジナルスイーツ
かつて5,000人以上が暮らし、日本の高度経済成長を支えた炭鉱の島「端島」通称「軍艦島」。閉山から50年がたった節目の年となった2024年は全国からの注目が集まり、島上陸ツアーは連日超満員の人気ぶりだという。 かつて人口密度世界一の活気あふれる島の様子や歴史を、最新のデジタル技術のVR(バーチャルリアリティ)やプロジェクションマッピングなどで体感できる「軍艦島デジタルミュージアム」には多くの観光客が訪れている。またクルーズ船で軍艦島に上陸できるツアーは特に人気で、年末年始も満席状態だという(最新の予約状況は軍艦島コンシェルジュのHPで確認を) また館内に併設しているカフェでは「軍艦島スイーツ」も人気だ。店内にある自家焙煎(ばいせん)機で焙煎した煎(い)り立て豆を使った「コーヒー」や「軍艦島ラテ」のほか、最近では石炭に見立てたコーヒーゼリーをスコップ型のスプーンで「採炭」しながら食べることができるスイーツも登場した。 雲仙ミルクで作ったイタリアンジェラートの上からはエスプレッソをかけていただく、その名も「ブラックダイヤモンド アフォガート」(605円)だ。 なめらかで甘さ控えめのジェラートの中に、香り高いコーヒーとザクザクとしたクランチの食感がアクセントになっていてスイーツ好きだけでなく、本格的なコーヒー好きにもたまらない逸品だ。
50年風雨にさらされた島のいま「一つの支えが外れたら・・・」
軍艦島デジタルミュージアムや上陸ツアーでナビゲーターとして働く木下稔さん(71)は、1953年に端島で生まれ、端島で育った。島唯一の映画館の映写技師として働く父親の仕事の関係で中学一年生まで島で暮らしていた。木下さんによると当時、島の映画館は九州の封切館で最新の映画が見られるとあって、長崎本土からも島に映画を見に来る人も多かったという。 また映画館では定期的に歌手を呼んでコンサートも開かれていて、日本のシャンソン界の先駆者であり、「ブルースの女王」の愛称で知られる歌手の淡谷のり子さんもステージに立ったこともあったという。さらに木下さんは「遊ぶ時は建物の屋上でしか遊べなかったがそれが一番の思い出。みんなが小さな子供の子守りしながら遊んでいた。僕らが遊びに夢中になっていると他の人が代わりに子守りをしてくれてお互いに子供を見守る環境があった」と、当時を振り返る。 1974年の閉山から約50年。島の建物は風雨にさらされ、徐々に崩壊の危機にひんしている。ナビゲーターとして島に上陸したり、メディア対応で非公開エリアに入った時に、間近で今の島の現状を目の当たりにしている木下さんは「一つの支えが外れたらボロボロになるなって思うぐらい、今どこもかしこもそういう状況」と説明する。 軍艦島が全国的な注目を集めていることについて木下さんは、「それまで島を全然知らなかった人も島やミュージアムに来て、非常に注目されるのは嬉しい」と肯定的に捉えている。その一方で、元島民の中には複雑な思いを抱く人もいるという。 「朽ちた島を見せるのは嫌だという人もいます。そういう島じゃなかったんだよって、もっと綺麗な本当に活気のあるそういう島だったんだよっていうのを、見せられるんだったらいいっていう人もいるし」と、島の在り方への様々な意見があると話し、幼少期から多感な時期を島での暮らした木下さん自身も「島は本当に楽しかった。働くお父さんも誇りを持って石炭を掘っていた。島では娯楽が少なく、飲んで遊んで石炭を掘って・・・と活気があった」と在りし日の島の姿といまの姿とのギャップに複雑な心境もあるようだ。