韓国プロ創設に尽力 お互い理解しなきゃ 招待なく「恩も義理も忘れて」と表彰断る 話の肖像画 元プロ野球選手・張本勲<28>
《韓国プロ野球創設に尽力した。昭和57年3月、三星、ロッテ、MBC、OB、ヘテ、三美の6球団による韓国プロリーグが開幕した。現役引退直後、徐鐘喆(ソジョンチョル)初代コミッショナーから特別補佐官を依頼された》 【写真】3000安打達成で韓国政府から体育勲章「猛虎章」を受け、重光武雄オーナーに報告する張本勲 韓国プロ野球は私と李容一、李虎剣という3人で原案を練って作りました。李さんたちは野球好きで、プロリーグが発足する何年も前から情報を共有してました。球団はどこで、何球団にするのか。国を挙げての事業です。初代コミッショナー候補10人のリストを作って、当時の全斗煥大統領にも面会しました。大統領が指名したのは徐さん、大統領の軍隊時代の上官でしたね。慶尚南道梁山生まれで、旧制の宮崎商業学校を出て、学徒出陣した日本軍少尉です。韓国では陸軍大将にもなった。立派な人です。 開幕には日本ハムの大社義規オーナー、巨人の正力亨オーナー、恩師の水原茂さんや松木謙治郎さんらをご案内した。初期には多くの在日の選手に韓国へ行ってもらいました。帰化している、していないにかかわらず、日本球界にいる韓国系の人たちを全国から探しましたよ。福士明夫(広島→三美、58年30勝で最多勝)、宇田東植(阪神→ヘテ、2年間13勝)、新浦壽夫(巨人→三星、60年25勝で最多勝)らが手伝ってくれた。 日本でなかなか出番がない人にも納得して行ってもらった。向こうで成功しましたよ。南海の吉村元富がそうです。日本では2軍でしたが、首位打者(平成元年、ピングレで3割2分8厘)を取って、指導者としても活躍しました。今、名古屋で証券会社をやって、事業でも大成功している。他にも小山正明さん(阪神、ロッテなど通算320勝)や稲尾和久さん(西鉄で通算276勝)、土橋正幸さん(東映で通算162勝)もコーチで行ってくれた。みなさん大物です。こういった人たちが貢献してくれて、初期の韓国プロ野球が盛り上がったんです。 《19年10月、韓国国民勲章「無窮花章(ブグンファンジャン)」を受章した。日本の勲一等に値する最高位章である》 長年にわたった日韓の懸け橋や在日韓国人社会の発展への貢献を認めていただいた。野球をやっていたおかげです。でも何年か前、韓国野球界の発展への功績で表彰すると言って、関係者がやってきたけど断った。20年以上も補佐官をやってプロ組織を作ったのに韓国シリーズ、オールスターへの招待は一度もなかったんだ。彼(か)の国の悪いところなんだよな、恩も義理も忘れて。
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