猛牛軍団が消えてから20年…「大阪近鉄バファローズ」はなぜ”完全消滅”を余儀なくされたのか
東のさる球団の“さるお方”が迫った「球界再編」
■〈消滅要因(4)〉経営改善・譲渡を阻んだ人物の存在 近鉄バファローズならびに近鉄本体は、球団の危機的状況に対策を打つべく、早くから「アイフル(金融事業者)との共同経営」「命名権売却(ネーミング・ライツ)」などの実現に動いていた。 また最終年の2004年には堀江貴文社長率いる「株式会社ライブドア」(当時。現在の「LDH」)が球団買収に名乗りを挙げるなど、球団の周囲はにわかに騒がしくなる。 しかし、これらの動きにことごとく反対し、こまめに止めていたのが、当時の読売ジャイアンツ・渡邉恒雄オーナーだ。NPB(日本野球機構)を率いる立場ではないものの、1試合当たり億単位の額が動く「テレビ放映権料」を持つメディア側の立場も繋がり、12球団は「1強11弱」状態で意向のままに動かせてしまう。 「約36億円が動く」と言われたネーミングライツも「協約違反だ、けしからん」との一言で各球団が近鉄を止める立場に回ってしまい、永井充・元球団社長は当時のインタビューで「命名権の売却は協約に書いていない。規定がないのだから違反じゃありません」「(検討段階で反対されたことに)思想統制、ファッショですよ」(04年5月10日、日経ビジネス)とぼやくような状況であった。 その後起きた「球界再編」に関しては、後編記事『「パ・リーグ改革」真のMVPは“意外な人物”だった…!「我らのパシフィックリーグ」はいかにして守られたのか』で少しだけ言及するが、広く知られているため、そこまで触れない。 最終的に、近鉄バファローズは04年11月30日、おなじパ・リーグの「オリックス・ブルーウェーブ」運営会社に営業を譲渡。選手はオリックスと、新規参入で誕生した「東北楽天ゴールデンイーグルス」に分配され、運営会社(株式会社大阪バファローズ)は残務整理ののちに解散。ここに「大阪近鉄バファローズ」の歴史は幕を閉じた。
血の涙を流した「近鉄ファン」は救われたのか?
球界再編が騒がれた当時は、ほかダイエー、ロッテ、日本ハムなどに身売り・合併報道が出たが、あれだけ騒がれた「2球団消滅・1リーグ制」構想は頓挫し、「2リーグ・6チーム」は守られた。その中で、歴史が途絶え消滅したのは、近鉄バファローズのみ。いや、“のみで済んだ”と言うべきだろうか。 現在はオリックスの球団愛称に「バファローズ」という名前が残るものの、あくまでも球団の前身は「オリックスブルーウェーブ」であり、近鉄バファローズの歴史は引き継がれていない…が、オリックスバファローズは山本由伸投手・吉田正尚選手(日本一達成後に米移籍)などを擁して、21~23年にパ・リーグ3連覇。うち22年には、近鉄が最後まで果たせなかった「バファローズ日本一」(日本シリーズ制覇)を実現している。 20年前の球団消滅に血の涙を流した「大阪近鉄バファローズ」ファンの方の中には、少しだけ報われ、心の曇りが晴れた方もいるのではないか。少なくとも筆者は、ほんの少しホッとした。 さて、なぜ04年に、近鉄バファローズを中心とした「球界再編」が叫ばれたのか?根本的な要因は「パ・リーグ球団は軒並み経営が苦しかったから」に他ならない。 パ・リーグ各球団はいま「新球場建設」「経営者の改革」「ネット配信の強化」など、セ・リーグとは違った形で、経営改革を進めている。つづく後編記事『「パ・リーグ改革」真のMVPは“意外な人物”だった…!「我らのパシフィックリーグ」はいかにして守られたのか』では、「球界再編騒動」20年後の、各球団の経営状況を追ってみよう。果たして「パ・リーグは、儲かっているのか?」
宮武 和多哉(ライター)