猛牛軍団が消えてから20年…「大阪近鉄バファローズ」はなぜ”完全消滅”を余儀なくされたのか
皮算用が外れ赤字は40億円に
■〈消滅要因(2)〉大阪ドームへの本拠地移転が仇に? 近鉄バファローズはついに藤井寺球場を出て、5万人以上を収容できる「大阪ドーム」(のちの「京セラドーム大阪」に本拠地を移転。ところが、この「大阪ドーム移転」が、後々命取りとなった。 グループ会社の「近鉄興業」(ほか遊園地などを経営。現在は解散)保有で格安使用できていた藤井寺球場と違い、大阪市主体の第3セクター会社が運営する大阪ドームに、年間10億円程度の使用料を払う必要があったのだ。 それでも、球団や近鉄本社側には「使用料を含めて経費は年間40億円程度に上昇、チケット収入の大幅増で収入は44億 ~45億円程度」(1997年3月27日朝日新聞・永井充近鉄副社長(当時)インタビューより)という皮算用があったようだ。 実際に、移転初年度の97年には年間186万人(前年の倍)を動員し、球団は念願の黒字転換を果たしている。しかし、その後は年間110万~150万人程度と、最高で年間141万人(91年)を動員した藤井寺球場・日生球場時代と大差ない集客状況が続いた。 またテレビ中継はあったものの、CSの「スカイA」は近鉄が朝日放送(母体)の株主であり、京都ローカル「KBS」の「近鉄エキサイトアワー」は近鉄の一社提供。どちらもそこまでの放映権料は見込めない。 近鉄バファローズはこうして「チケット収入・放映権料少ない、ドーム使用料は莫大に出ていく」状態に陥り、年間40億円もの赤字に転落。パ・リーグ制覇を果たした2001年でさえ、「売上69.6億円(前年より8.6億円の増益)、赤字23.2億円」という状況が続く。
ついに支えきれなくなった「日本一の私鉄」
■〈消滅要因(3)〉「親会社補填」の限界 そしてついに、親会社である近鉄が球団を支えきれなくなる。バブル期の不動産投資が仇となり、1.7兆円もの有利子負債を抱えてしまったのだ。 かつて球団とともに、近鉄グループの象徴であった「あやめ池遊園地」「OSK日本歌劇団」「銀座近鉄ビル」「am/pm(エリアフランチャイズ)」などが、次々と閉鎖・売却される。 さらに、バブル期に数々のゴルフ場を開発した「大日本土木」も、2700億円の負債を抱えて破綻(現在は再建)。「けいはんな線」延伸、「阿倍野再開発」などの成長戦略を掲げていた近鉄の足を、大きく引っ張ることになる。 なお、大日本土木の一部関係者には寝耳に水の破綻劇だったようで、「民事再生申立の計画案を白紙のまま申し立てた」(週刊ゴルフダイジェスト2002年7月号 )と、当時の弁護士が語っている。この頃には近鉄本体の株式が投げ売り状態となっており、グループが一寸の猶予もないほど追い詰められていた様子が伺える。 鉄道事業も1992年から乗客減少に転じ、99年には「営業利益277億円、当期純損失45億円」に転落してしまう。エリアが広すぎて赤字ローカル線も多く、不採算の北勢線、伊賀線、養老線などをなりふり構わず近鉄から切り離し、第3セクター会社や他の私鉄に移管していく。 球団最後の二軍監督となった石渡茂氏が、スカウト時代に「近鉄は日本一の私鉄なので、プロ野球撤退や破綻にはもっとも遠い存在です」と選手に伝えていたという環境は、もろくも崩れ去った。 グループはもはや近鉄バファローズを存続させている場合ではなく、事態は「近鉄のプロ野球撤退」、最終的には「オリックスとの合併」に向けて動き始める。