“補償なし”はお買い得?「Cランク」で移籍したFA戦士(5)ジャイアンツでまさかの”構想外”
プロ野球のストーブリーグで大きな話題となるのが、フリーエージェント(FA)戦線だ。FA権を行使した選手は、所属球団内の年俸順でランク付け。日本人選手上位3人がAランク、4~10位までがBランク、それ以下はCランクと位置付けられる。移籍時に金銭や人的補償が伴うA・Bランクの選手に対し、近年は補償なしで獲得可能なCランクの選手の需要が高まっている。今回は、CランクでFA移籍した選手を紹介したい。
小笠原道大
北海道日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツでシーズンMVPに輝くなど、球史に名を残した小笠原道大。中日ドラゴンズへのFA加入は、Cランクでの移籍だった。 暁星国際高、NTT関東を経て、1996年ドラフト3位で日本ハムに入団。捕手から内野手へ転向した1999年に大ブレイク。「恐怖の2番打者」として打率.285、25本塁打をマークした。 その後、2002年から2年連続首位打者に輝くなど、球界を代表する打者として君臨。特に2006年には打率.313、32本塁打、100打点をマークし、リーグ優勝、日本一の立役者に。打撃2冠(本塁打・打点)に加え、最優秀選手に輝いた。 同年オフにはFA権を行使して巨人入り。移籍初年度から打率.313、31本塁打、88打点と持ち前の打棒を遺憾なく発揮し、リーグを跨いで2年連続となるシーズンMVPを戴冠。その後もクリーンアップの一角として、強力打線を牽引した。 しかし、2011年はけがの影響もあって規定打席未満に終わると、翌年以降は本格的にレギュラーを奪われ、出場機会が激減した。2013年オフには事実上の戦力構想外となり、2度目のFA権を行使。中日でのプレーを決断した。 中日では代打の切り札として貴重な戦力となり、2014年は83試合出場で打率.301をマーク。翌2015年も53試合出場ながら打率.294と結果を残したが、同年限りで現役生活に別れを告げた。
ベースボールチャンネル編集部