「鼻出しマスク」でまさかの反則負け3回 将棋の日浦八段は、それでもなぜ鼻出しにこだわったのか 「脳へのダメージ」と「排除する空気」の深刻さ
納得がいかない日浦さんは6月、日本将棋連盟に損害賠償を求める訴訟を起こした。「損害」とは、出場停止処分によって「不戦敗」とされ、受け取れなかった対局料や精神的苦痛だ。 ▽「反則負け」は棋士生命に関わる痛み プロ棋士には「強制引退ルール」という特殊な決まりがある。 男性棋士の場合、奨励会を経て四段になると正会員、いわゆるプロ棋士になり、公式戦に出場できる。 成績が良ければ、上位のクラスに上がり、悪ければ降格する。名人戦順位戦ではA級が最上位で、その頂点が名人だ。A級の下にB級1組、2組があり、さらにC級1組、2組と続く。年間10戦で、B級2組より下位のクラスでは、戦績がおおむね2勝8敗以下だと降級点が一つ与えられ、二つたまれば降級となる。C級2位で降級点が三つたまると「フリークラス」となり、在籍年数か定年で強制的に引退しなければならず、二度とプロ棋士には戻れない仕組みだ。 かつて名人や棋王、王将などのタイトルを獲得し、「ひふみん」の愛称で名物解説者として親しまれる加藤一二三さんも、このルールによって引退していった。
だからこそ、反則負けや不戦敗は日浦さんにとって痛手でしかない。 それでも鼻出しを貫いたのはこんな思いからだ。 「既に1年以上も抗議し続け、無視されてきた。とてもじゃないが、連盟の命令には従えない」 思うように指せない焦りやいらだちもあったという。「50代後半という年齢に加え、マスクが嫌すぎて指し方がどうしても淡泊になってしまうのです」 「淡泊」とはどういうことなのか。日浦さんによると、将棋の指し方には長期戦用と短期戦用があり、実力者は長期戦になってもいいように、少しずつポイントを稼いでいくように対局を進めるという。ところが、日浦さんはマスクが気になって「早く終わらせたい」という気持ちが高じ、短期決戦を選びがちになり、不利な展開が増えていった。 ▽届いた手紙を力に 訴訟は今後、どう進むのか。代理人の桜井康統弁護士は争点についてこう指摘する。「報道されて批判を浴び、傷ついた日浦さんの名誉回復のためにも、反則負けと懲戒処分の違法性を問います。そもそも、連盟の規定には『鼻出し』禁止に関する記述がない。マスク自体は着用していたのだから、規定違反はなく、反則負けはもちろん、懲戒処分はやり過ぎです」 自分が所属する組織を一人で敵に回すことを決めた日浦さんの元には、こんな手紙が届いた。
「応援しています。子どもがいますが、いつになったらマスクを外してあげられるのか…」 日浦さんはこう話す。「声を上げにくい雰囲気ができあがった世の中で、声を上げることのできない人のためにも闘いたい」 ▽連盟の見解は… 日本将棋連盟は6月9日、新会長に羽生善治九段が就任した。言わずと知れた、史上初のタイトル七冠を達成したレジェンドだ。 日浦さんによる提訴や、前会長時代のマスクルールや反則負けの是非に対する見解を連盟に尋ねたが、こんな返事だった。「訴状が届いていないため、回答は差し控えさせていただきます」