「自分で考える子ども」育ててきた創立20年の東京コミュニティスクール、フリースクールの本当の意味
急遽TCSを創立することになったわけ
TCSが開校したのは、2004年8月30日のことだった。久保氏がTCSの創立を決断したのは、その直前といってもいい5月のことである。この年の4月に関西のフリースクールが東京校を開校したものの、事情があって夏前に休校することになった。 すでに在籍していた3人の子どもたちは、行く場所を失ってしまった。その休校を決めたフリースクールの東京開校準備を初期のころに手伝った縁で、すでに関係がなくなっていたにもかかわらず、対応の相談が久保氏のところに持ちこまれたのだ。 久保氏は、その3人の子どもたちを受け入れることを決める。といっても、閉校を決めたフリースクールを引き継ぐつもりはなかった。それ以前から、久保氏は自分の学校をつくる準備を進めていた。その学校の開校を早めて、行き場を失いかねない3人の子を受け入れることにしたのだ。 開校するにも、校舎がなければ始まらない。校庭の代わりになる公園や図書館など利用できる公的施設が近くにあり、何より3人の子どもたちが通える場所にあることが条件だった。当然、予算的にも限度はある。あちこち探して、ようやく見つけたのが東京の東高円寺にあった物件だった。そこと賃貸契約を結ぶにあたって問題になったのが、借りる主体、つまり開校する学校の運営主体だった。 「学校の運営体として、個人か会社、そしてNPOという3つを考えました。今は一般社団法人という選択もありますが、当時は一般的ではありませんでした。建物を借りるのに、個人では相手にされない、会社だと警戒されてしまうのが現実でした。しかし、NPOだと相手も話を聞いてくれる。学校をつくるといっても、公教育に対抗する気はなくて、最終的には公教育とも仲よく提案していける存在を目指していますから、NPOなら公教育とも話せる関係になりやすいと考え、NPOでやっていくことにしました」 設立してから数年して、認定NPOとなる。理由は、認定NPOのほうがより高い税制優遇が適用されるからだ。寄付してもらうにしても、認定NPOのほうが寄付者の受けられる優遇は大きい。それだけに基準審査は厳しくなるが、こちらを選択した。NPOの中でも認定NPOの数は、まだまだ少ない時代のことである。 最初の校舎についての印象を、20周年記念イベントで登壇した保護者の一人は「見学に行って、建物を見て、子どもを入学させるのをやめようと思いました」と語っていた。「畳もあるような部屋でしたからね」と、久保氏も笑う。学校らしからぬ建物だったようだ。しかし、その保護者は「やめようと思いましたが、学校方針についての話を聞いて、『ここしかない』と決めました」と語ってもいた。 開校までは、ある意味ドタバタだったといえるが、前述したように、以前から開校について久保氏は準備を進めていた。学校をつくるというのは、それまでの久保氏の経験から導きだされてきたことでもあったからだ。 「大学を卒業して入社した企業に13年間勤めましたが、そのうち6年半は人事を担当して、新卒者の採用とか研修もやりました。そこで感じていたのが、一流といわれる大学を卒業してたしかに頭はいいけれど、自由な思考ができない。そういう若者が多いことが気になっていました。その根本的な原因は学校教育にあるのではと、考えるようになりました。ずっと日本の教育がダメだったわけではなくて、ある時代においては成功モデルだったはずですが、時代が変わってきて、合わなくなってきている部分が目立ちはじめているのではと思っていました」