加藤シゲアキ×小川哲×今村翔吾が語る…「今小説家にできること」能登半島地震復興応援企画始動!
作家にしかできないこと
今村 起きたときだけじゃなくて、ずっとその先も見守ることが大事ですよね。 小川 能登半島地震は起きてからまだ数ヵ月しか経ってないけど、どこか優先度が下げられてしまっているように感じています。もちろん、被災された方、ボランティアに行っている方や、復興のために尽力している方はたくさんいるんだけど、どんどん見えなくなっていくわけじゃないですか。 日々、さまざまな事件やニュースがあるので、ある意味仕方ないことではありますが、その忘却に対して何か小説家として抗えないかとも考えてしまいます。本というのはずっと残っていくものだし、だから短期的に注目を集めるというよりも、加藤さんがおっしゃっていたように続けていくことが大事なんですよね。 加藤 そうですね。能登半島地震もそうですし、東日本大震災だってまだまだ続いているという実感があります。それに対して直接何かできることがあるんじゃないか、ということも考えますね。 今村 確かにね。シゲさんはアイドルとしてもできるし、作家としてもできるもんなあ。さっき東日本大震災のときは初めての小説に取り組んでる期間だったって言ってたけど、地震が起きた日は何してたん? 加藤 僕は日本語を喋れない外国人と、英語の授業をやっていました。 小川 え、そうなんですか? 加藤 友達なんですけど、ちょっとお金を払って英語で会話する授業みたいなことを毎週やってもらっていました。震災のときは、ちょうど授業が終わったからご飯食べようかという話になって。その友達はニューヨーク出身だから「俺がうまいベーグル作るよ」みたいなことを言って、ベーグルを作っていたら大きく揺れたのです。友達は全然ピンと来てなかったから、とりあえず二人でテーブルの下に隠れました。 揺れがおさまってきてテレビをつけたら、「何が起きているのかを教えてくれ」って言うんです。僕はラフな英会話くらいしかできなかったのに、急にテレビの内容を翻訳することに。知らない単語はその場で調べて伝えて。窓から外を見ると、遠くで煙が上がっているのが見えて、ディストピア感半端ないななんてことを考えてしまったり。で、夜になってから近くのバーに行ったんですよ。 小川 日常の光景に急に煙が上がると、非日常が紛れ込んできて、一瞬わからなくなりますよね。 加藤 外に出ると、駅に行列ができていました。近所のバーにはでっかいテレビがあって、まさにさっき小川さんが言っていたように死者は二十人くらいだという報道がでていました。でも、友達が見ている海外の報道だと全然違うんですよね、伝えられている状況が。 日本だと多分、いろんな部分をケアして報道しているところもあるし、直接伝えられなかったところもあったのかもしれません。海外の報道と国内の報道を対比して見るというなにかすごい衝撃的な体験だったんですよ。作家としてはまだデビュー前だったから「作家ってこうした大きな災害を前にしたときに、どうするのだろう」ってことも考えていました。 小川 その後今に至るまで、東日本大震災を扱った小説は多く書かれましたね。 加藤 今起きていることを描きたくなる気持ちもわかるのですが、リスクもあるじゃないですか。それがいいのか悪いのか、どちらが正しいということもないと思うのですけど、未だによくわからないんですよ。コロナのときにも同じことを感じていました。 今村 僕の印象だとコロナを扱った作品ってすぐに出ましたし、数も多いですよね。 小川 コロナは多分、震災よりも作家の生活にダイレクトに影響があったことが大きいのかなと思っています。 今村 なるほどね。もともと家で執筆している方も多いから、自分のこととして書きやすい面はあるのかもしれないなあ。 小川 世の中で実際にたくさん亡くなった人がいる災害を作家が作品で扱っていいのか、ということに対しては答えがないから、作家ごとに自分の中で何がベストかって考えてやっていくしかないとは思うんです。コロナのとき、エッセイにカミュの『ペスト』が売れていたことについて書きました。 加藤 確かに、コロナ禍のときに売れていた印象がありますね。 小川 あの作品は、ペストが流行してからすごいあとに書かれているんですよね。他にも、ガルシア゠マルケスの『コレラの時代の愛』もコレラが題材になっていますが、疫病が猛威をふるったずっと後になって書かれていました。 加藤 ある出来事を俯瞰して見るためには時間の経過が必要なのかもしれませんね。 小川 小説家が大きな出来事を本当の意味で小説として深く描くためには結構時間がかかるのかもしれません。どうしても一年や二年じゃ書けないんじゃないかなと感じています。 今村 時間が経つことで見えることもあるでしょうしね。東日本大震災のときは、僕も作家になってなかったけど、ニュースで震源地を見て真っ先に、「四百年前と一緒や」って思ったんよね。伊達政宗が見た地震と一緒やと思ったときに、津波が来るって思ったよ。それで見ていたら、政宗が残したものが若干津波食い止めていんのよね。防潮林とか。 津波のあとに塩害が広がったのも知っていたので、あとのことも見ていたらやっぱりそうなって。政宗の時代は田んぼが無理やったらっつって、全部塩田に替えていって復興していったことも知識としては知っていましたが、これも後からそのときの地震を記述してくれている人がいたからわかっていることでもある。 加藤 熟成させるというか、時間がかかるというかね。 今村 でも、被災地にはすぐに駆け付けたい気持ちもあるんですよね。 小川 もちろんそうですよね。ただ、小説家としてはボランティアとはまた違う関わり方があるんじゃないかなみたいな気もしますよね。 今村 僕も、作家として震災に関わったことがないからどうすればいいのか、っていうのは思うね。さっき小川さんがおっしゃったように残してはいかなければならないと。本は、何十年経っても読まれるもんだから、「記憶のしおり」としてはすごくいいもんやと思う。 小川 今村さんが作家になった今と以前でやれることに変化はありましたか? 今村 その段階はまだ先かもしれないけど僕が東日本大震災の被災地に行って思ったのは、途中から物資があふれて、物はあるのに、何か受け取る側にずっと欠けたままのところがあるということです。多分最後まで戻ってこないのが心的な部分なんよね。心が最後に復興するっていうか。僕の力なんてたかが知れていると思うけど、物語の力で寄り添えたらなって思います。 それには、僕だけじゃなくてたくさんの作家が集まっていった方がいい。物語をどういうふうに使っていただいても結構なんですよ、現実逃避でもいいし。今回は僕らでしかできないこと、作家にしかできないことをやる意味があるかなとは思う。 小川 うん。本当にそうですよね。できれば、一過性のものではなくて、文庫になって、ずっと講談社文庫に残ってくれたらとも思います。能登半島地震のチャリティーの本が置いてあったら、人々は書店で本棚を眺める度に思い出すかもしれないじゃないですか。物語が読まれなかったとしても、書店に置かれているだけでも意味があると思っているんです。それが十年、五十年、百年と残っていくといいですね。 加藤 作家デビュー十周年のとき、『1と0と加藤シゲアキ』という記念本を作りました。渋谷をテーマにいろいろな作家さんに短編を書いていただいたのですが、羽田圭介さんが東北の被災地と渋谷をロードノベルのように書かれていて。それも、「記録すること」を意識して書いてある。何かに思いを馳せることとか、記録することの大事さみたいなのも小説の一つの仕事なのだ、ということも書かれていてそれがとてもよかったんですよ。 今村 そうなると、今ももちろんやりますが、十年後もやりたいですね。