物価2%上昇でも5年間の成長率は米国や韓国の1年にも及ばず、日銀大規模緩和の「嘘」
日本は、物価上昇率で世界並みになったにもかかわらず、なぜ成長率がこのように低いのか? 日銀の物価目標が達成されたにもかかわらず、なぜ日本は低成長から脱却できないのか? それだけではない。17年頃の日本の年成長率は1.7%だった。その頃に比べても成長率が顕著に低下している。なぜ物価上昇率が高まったにもかかわらず、実質成長率が低下してしまったのか? 日銀は、物価上昇率が高まれば事態は改善されるとしていた。そして、いまでもその考え方を続けているのだから、これらのことに答える義務がある。 ● 今や輸入インフレではない 賃金と物価、なぜ「好循環」なのか? 物価が上昇したにもかかわらず、事態が改善されなかったことの説明として、「今回の物価上昇は日銀の金融政策の結果ではなく、外国から輸入されたインフレによるものだから」との説明がされるかもしれない。 しかし、この説明は受け入れられない。前回本コラム「物価と賃金の『悪循環』の回避、1970年代の石油危機の経験を生かせ」(2024年12月19日)で指摘したように、22年までの物価上昇は確かに資源・エネルギー価格急騰などで外国から輸入されたものだったが、それ以降は、輸入物価は低下しているからだ。 24年以降の消費者物価上昇は、賃金引き上げが転嫁されたことによるものだ。 「これも日銀が引き起こしたものとは言えない」との説明がされるかもしれない。 しかし日銀は、これを「賃金と物価の好循環」と呼んで肯定的に捉え、その実現を金融政策運営の軸にしてきた。原因が日銀の政策によるものでなくても、日銀の考え方によれば、物価が上昇すれば事態は改善してしかるべきだ。しかし、いままでのところ改善の兆候は見られない。 賃上げが転嫁されることによって物価が上昇すれば、事態が悪化するのは明らかだ。それにもかかわらず、これをなぜ好循環と考えているのかを、日銀は改めて明確に説明する必要がある。 ● アイスクリームの売り上げを増やせば 気温が上がるか? 因果関係はない 以上で述べたことは、フィリップスカーブという概念と密接に関連している。 横軸に失業率、縦軸に物価上昇率を取ってデータをプロットすると、右下がりの曲線になる。つまり、物価上昇率が高い状態と、失業率が低い状態(景気が良い状態)が対応している。これをフィリップスカーブと言う。 ただし、次の点に注意が必要だ。これは単なる相関関係であって、因果関係を示すものでは必ずしもない。つまり、「物価が上がれば失業率が低下する」という保証はない。 冒頭で述べた「物価が上がれば状況が改善する」という考えは、この関係を因果関係と捉えている。つまり、「物価が上がれば失業率が低下する」と考えているのだ。 しかし、実際の因果関係は「何らかの理由によって景気が良くなれば、失業率が下がって、物価が上昇する」という関係だと考えることができる。「失業率が下がれば人々の購買額が増加し、したがって物価が上がる」というのは、ごく自然なことだからだ。 そして、「物価が上昇すれば失業率が下がる」という因果関係は存在しないと考えるのが自然だ。そうであれば、いくら物価を上げたところで、経済は改善しない。 たとえ話で言えば、次のようなことだ。 気温が高いことと、アイスクリームの売上高が増えることの間には、相関関係が見られる。しかしこれは、「気温が高くなれば、人々が冷たいものを求めてアイスクリームを買う」という因果関係によるのであって、「アイスクリームが売れれば、気温が高くなる」という因果関係は存在しない。 従って、いくらアイスクリームの売り上げを増やしたところで、気温が高くなることはない。 日銀がこれまで物価を高くして経済を改善しようとしていたのは、「アイスクリームの売り上げを増やして気温を上げよう」とするのと同じことだったのだ。 ● 日銀は物価を上げる手段も持たなかった 国債買い入れで「マネー」は増えず しかも、日銀は、物価上昇率を引き上げるための政策手段も持っていなかった。 日銀の国債買い入れによる量的緩和策に関して一般には、次のように理解されていた。つまり、「日銀が国債を買うとき、日銀券を増発する。日銀券はマネーであるから、それが増発されることによって物価が上がる」 しかし、この考えは間違いだ。日銀は、銀行から国債を買って、銀行が日銀に持っている当座預金を増やすが、日銀当座預金は、民間経済主体が決済や送金に用いることはできないので、マネーではない。統計では、マネーのもとである「マネタリーベース」に分類されていて、「マネーストック」ではない。 そして、いくらマネタリーベースが増えたところで、物価を引き上げることはできない。 民間の銀行が日銀当座預金を引き出して企業への貸出金にすれば、企業が銀行に保有する預金が増える。そして、これはマネーであり(というより、マネーストックの大部分は日銀券ではなく、金融機関の預金である)、マネーは増え、また投資や消費が増えて物価が上がる。 ところが、経済成長率が高まらなかったので、企業の資金需要が増加せず、従って、銀行から企業への貸出金は増加しなかった。つまり、マネーストックは増加しなかった。マネーストックが変化しなければ、物価をはじめとする経済変数に影響は及ばない。 結局のところ、経済成長率が高まらなかったために、日銀による国債購入は物価を上昇させなかったのだ。 データを見ると、異次元金融緩和の導入によってマネタリーベースが激増したが、マネーストックにはほとんど何の影響も及ばなかった。 以上のように、日銀の目標は誤っており、その上、政策手段もなかったということになる。つまり、日本経済は10年以上の期間にわたって、手ぶらで、しかも誤った方向に向かって歩き続けたことになる。 貴重な10年間を空費したことの責任は、極めて大きい。 (一橋大学名誉教授 野口悠紀雄)
野口悠紀雄