ポータークラシック──世界が注目する日本のアーティザナル・デザイナーたち
職人として、あるいはデザイナーとして職人を讃えながらアルチザン的なものづくりで国内外から支持を集める5つのブランドのクリエーションをひもとく。 【写真の記事を読む】日本が誇るアルチザン、ポータークラシックの写真を見る。
普遍的なクラシックと日本の伝統を掛け合わせる
吉田カバンで数々の名作を生み出し、1981年、日本人で初めてニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブのメンバーとなった吉田克幸。彼が息子・玲雄とポータークラシックを立ち上げたのは2007年、60歳のときだった。その際、克幸が玲雄に言ったのは、「職人を大切にするものづくりをしよう」。ちょうど、ファストファッションが台頭してきた時代である。その時流のさらに先を読み、クラフツマンシップとクオリティで勝負しようと考えたのか?──インタビュー中、そう尋ねたのだが、それはすぐに愚問だとわかった。克幸の答えは「そこに理由や狙いなんてありません、当然のこと。どんな素晴らしいアイデアがあっても、職人がいないと、いいものはつくれないから。また、カバン職人だった私の父も、いつも周りの職人を大切にしていました。そうしたことは、私の心と体に当たり前のこととして染み付いている」。彼が言う父とは、吉田カバンの創業者であり、カバン職人である吉蔵のことだ。玲雄もこう続ける。「私の人生の幼少期の記憶として一番強く残っているのは、家の1階の工房で祖父・吉蔵が仕事をしている姿。母に言われて、3時にお茶を持っていくのですが、工房に入った瞬間の空気感といったらものすごいものがありました。ものづくりをしている人間の集中力で満たされた空気。それは子どもながらにひしひしと感じましたね。だから、職人へのリスペクトは、なにも改まったことではなく、我々がずっとそうしてきたこと」 ふたりがブランド名に添えた「クラシック」の意味は、王道であり普遍的であること。50年前にあったとしてもかっこよく、30年後、着倒した状態でもスタイルに映える。日本の職人技を取り入れながらつくられるポータークラシックのアイテムは常にそんな魅力にあふれている。着想源は、ヨーロッパやアジアの服飾文化や歴史、芸術、映画など。ふたりがこれまで各地を旅し、心で感じたものが、ものづくりのベースになっているという。「“旅をしなさい”も、カバン職人であった父から言われたことでした。若い頃はずっと旅していましたね」と克幸。「そこで気がついたのは、世界にはたくさん素晴らしいものはある、けれど、それって日本の職人でもつくれるんじゃないかってことでした」。メイド・イン・ジャパンにこだわるのも「こうした旅のなかで、自分たちが日本のものづくりの技を使わないのは、罪だと思ったし、日本の伝統をきちんと後世に残していくことが大切だと思ったから」(克幸)。そうした考えもあって、ふたりはブランド設立後、まず、日本各地にある民具や民芸の産地を訪ね歩いた。ポータークラシックのアイコンのひとつ「PC SASHIKO」シリーズは、まさにそこでの出会いが生んだものだ。冬の寒さを防ぐために、布を重ね刺し縫いして厚みを与えていく刺し子。東北の博物館で見た、そうした生活の知恵が詰まった古い刺し子に、克幸は得も言われぬ感動を覚えたのだという。そして、5年にわたって研究し、ブランドオリジナルの刺し子の生地を完成させた。「“ 5年も”というけど、全然時間が足りなかったというのが本音」と克幸。玲雄も「単なる再現ではありませんから。うちの場合は、刺し子の生地をどうやったら無理なく生産できるのかも考えていく。どう現代に進化させられるかということですね。加えて、刺し子を使い、和服ではなくフレンチジャケットやチャイニーズジャケットをつくったらどうなるか、アイデアを膨らませ、製品にしていく。それが我々の仕事です」 取材中、ポータークラシックのもうひとつのアイコンである「PC KENDO」シリーズのジャケットを触らせてもらった。ふっくらとやわらかい。実は、剣道の師範代用の道着を織る職人に頼み、最高級の綿であるシーアイランドコットンで織り上げた生地を使っているのだという。「これは克さんが海外の市でボロボロになった道着を見たのがきっかけ。日本から出て海外に残ったその道着の色の美しさや雰囲気に心が動かされた。その後、ふたりで道着を研究していた際、職人の方が、“こんな人もいるよ”と剣道の師範代用の道着を織る職人を紹介してくれて。で、その実物を触ったら、もう感動もので。そこから、その素材や染色などの技術についてのさらなる研究が始まっていった」(玲雄)。 こうした、職人とのコミュニケーションもポータークラシックのものづくりを支えているものだという。「例えば、職人に“こういうものを作りたい”と相談すると、“そんなのはできない”と拒否されることも少なくありません。それを何とかできるようにしていく。それが楽しい。職人さんにできないと言われたら、それは、面白いものができるチャンス。実際にポータークラシックのアイテムのなかには、そうやってできたものがたくさんある」(玲雄)。「私の場合は、もっと厳しい。近所の飲み屋に連れていって“お前、はじめ、できないって言ったよな?”ってたっぷり可愛がって締め上げるから(笑)。でも、最終的に物ができたときの職人さんって、自信に満ちあふれた顔をするんです。それを見られたときが、最高に嬉しい瞬間」(克幸)。 ちなみに、伝統的な剣道着を織る職人工房は、今、関東近郊では2社ほどしかない。継承者不足によるものだ。その状況をふたりは「まだまだチャンスもある」と目を輝かせる。「ただ、技術だけでなく、感性の継承も大事なこと」とは玲雄の弁だ。職人技やそうやってつくられたものに心が動く、そういった感性が育まれなければ、当然、技は残らない。「我々が祖父・吉蔵から継承しているものを振り返っても、技術そのものより、感性的なところが大きいと思うのです」。そして、その感性は、もちろんポータークラシックのものづくりのなかにしっかり息づいている。 克幸が世界を旅し集めたという古生地を使った一点物のジャケットもブランドを象徴するアイテムだ。「旅はポータークラシックの根幹にあるもののひとつ。この古生地もいろんなところを旅しているうちに辿り着いたわけです」(玲雄) PORTER CLASSIC 2007年、吉田克幸と吉田玲雄が設立したブランド。克幸は1947年生まれ。長年、吉田カバンの企画で名品を生み出し、1981年にはニューヨーク・デザイナーズ・コレクティブのメンバーに選出。玲雄は1975年生まれ。高校卒業後、渡米し、2003年サンフランシスコ・アート・インスティテュート大学院を修了。2006年にはエッセイ『ホノカアボーイ』を発表し、2009年に映画化。共著に写真集『The HOBO STYLE』がある。