闘病を支えてくれる人への感謝は笑顔で伝える|宮川大助・花子の笑いと涙の闘病介護記【なにわ介護男子】
患者としての私の流儀
なにはともあれ、右足がまったく動かなくなった原因を探る必要がありました。先生方は「MRIを撮りましょう」とおっしゃるのですが、私、極度の閉所恐怖症なんです。だから発病した当初から、「MRI検査だけは勘弁してくだ さい。絶対に嫌です」と伝えてきました。でも、「脳神経内科の先生が、どうしても調べたいと言っているから」と説得されて、仕方なく同意することに。精神安定剤を飲んで臨んだのですが、途中で耐えられなくなり大声で叫んでしまいました。看護師さんに鎮静剤の注射を打たれたみたいで、目が覚めたら病室のベッドの上。そんな大嫌いなMRI検査を3回もやったんです。その結果、脊髄も脳も首もまったく異常なし。結局、原因はわからないままでしたが、どこも悪くなかったことには少しほっとしました。 苦手なMRI検査をがまんしたんですから、自分にごほうびをあげても罰はあたらないでしょう。私は昔から甘いものに目がありません。看護師さんに頼んで院内のコンビニに連れていってもらい、大好きなソフトクリームを食べることにしました。その様子を「ソフトクリーム、おいしい!」とSNSに上げたら、いろいろな人が「ほんまにいつも楽しそうやなあ」って。「いや、楽しくないで。苦しんかったんやで」って返しましたが、よっぽど能天気に見えたんでしょうね。あれだけMRI検査でつらい思いをしたあとに、ケロッとしてご機嫌にソフトクリーム食べる患者なんて、確かに私くらいかもしれません。 このときに限らず、「どうしてそんなに前向きでいられるんですか」とよく聞かれます。答えは、至ってシンプル。前を向くしかないから。明日を見つめて進むしかないからです。でも、最初からこうだったわけじゃありません。私、もともとはマイナス思考の人間なんです。2年ほど前までは、朝、目が覚めると「はあ、生きてた」「まだ生きてる」とため息をつくのが習慣でした。そう言うと大助くんが嫌な顔をすることには気づいていましたけど、つい口からもれてしまうんです。それくらい「生きるってしんどいなあ」と毎日思っていました。でも、ある日、大助くんが言ったんです。「マイナス思考はやめようや」って。「毎朝『生きてた』って言われる立場にもなってくれよ。僕も『よかったなあ』って言えるくらい人間ができてたらいいんやけど、つらそうにため息つかれたら、聞いてて悲しくなる」って。ほんまにそのとおりやと思いました。それからは一切言わないようにしています。 もうひとつ、よくあるのは「花子さんは、お医者さんや看護師さんたちと、どうしてそんなにいい関係がつくれるんですか」という質問です。患者さんやご家族の中には、お医者さんたちとうまくコミュニケーションをとれず、不信感をもつ人が多いみたいですね。私はちょっと変わっているのかもしれませんが、病院の先生方に限らず、誰かに対して「嫌な人やなあ」と思ったことがないんです。そもそも好き嫌いがありません。だから、誰とでも打ち解けられるんでしょう。でも、これも昔からそうだったわけじゃありません。若い頃は、口も行儀も性格も悪かったですから。この世界に入っても師匠や先輩方に敬語が使えなくて、あの西川のりお・上方よしおさんにも「のりやん、よっしゃん」なんて平気で呼んでいたくらいです。大助くんがいちいち「年上に対して、そんな言い方はあかん」と叱ってくれて、人間関係のルールを基本から教えてくれました。 それにしても私は、今いくよ・くるよ師匠、ザ・ぼんちさん、明石家さんまさん、笑福亭鶴瓶さん……たくさんの方に本当によくしてもらいました。これまで出会ったやさしい先輩方や仲間が、私を少しずつ変えてくれたんだと思います。闘病生活は、お医者さん、看護師さん、リハビリの先生、作業療法士さん、薬剤師さん、病室を掃除してくださる方など、たくさんの方たちの総力戦です。私は、その神輿に乗っているだけ。だから、できるだけいつも明るく笑顔で感謝を伝えるようにしています。 ◆多発性骨髄腫ってどんな病気ですか? 血液のがんのひとつです。血液細胞のひとつである「形質細胞」が、がん化して異常細胞(骨髄腫細胞)になることで起こるもの。「形質細胞」と言ってもピンとこないかもしれませんが、じつは、とても重要な役割を担っています。それは、体内に入ってきた病原菌やウイルスなどの異物と闘う「抗体」をつくることです。ところが、これががん化すると異物を攻撃する能力のない抗体(M蛋白)をつくり続けてしまう。多発性骨髄腫とは、体のあちこちの骨髄で異常な形質細胞(骨髄腫細胞)と、役に立たない抗体(M蛋白)が増え続け、全身でいろいろな悪さをする病気です。 ◆宮川大助・花子の人生劇場年表 1980年~1986年 数々の漫才コンクールや賞レースで新人賞・奨励賞を獲得。その人気を不動のものにする 1988年 花子 胃がんで手術・入院 2007年2月 大助 脳内出血で倒れて入院 2017年 大助 腰部脊柱管狭窄症で入院・手術、感染症で再入院・手術、グラム陽性菌敗血症で再々入院 2019年1月 花子 奈良県立医科大学附属病院にて多発性骨髄腫と診断される 2020年4月 花子 退院 2021年12月 奈良県生駒市・たけまるホールの寄席に夫婦で出演。2年半ぶりに舞台復帰 2022年4月 なんばグランド花月での吉本興業創業110周年特別公演にゲスト出演 2022年10月 花子 抗がん剤の副作用で肺に水がたまって心不全の状態となり、心臓カテーテル手術を受ける 2023年9月 花子 右の頭の骨に形質細胞腫が見つかり放射線治療のため入院 2024年4月 なんばグランド花月本公演に出演 * * * なにわ介護男子 著/宮川大助・花子 主婦の友社 1,650円 宮川大助・花子(みやがわだいすけ・はなこ) 夫婦漫才の第一人者。大助は1949年10月3日、鳥取県生まれ。会社員を経て、浪曲漫才の宮川左近に弟子入り。ガードマンの仕事をしながら100本の漫才台本を書く。漫才ではネタ作りとツッコミ担当。花子は1954年8月28日、大阪府生まれ。大阪府警に入庁後、チャンバラトリオに弟子入り。漫才ではボケ担当。76年に結婚、79年にコンビ結成。87年上方漫才大賞の大賞受賞。2011年文化庁芸術選奨 文部科学大臣賞 大衆芸能部門、17年紫綬褒章。19年12月、花子が自らのがんを公表。2023年5月に大阪・なんばグランド花月に復帰。徐々にステージやテレビ、ラジオ出演を増やしている。著書に『あわてず、あせらず、あきらめず』(主婦の友社)ほか。
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