五輪で金を獲る人生と銀の人生。レスリング・文田健一郎が誓う「変わらなかった人生」への雪辱
五輪銀メダルは「どこにあるかはちょっとわからない」
決勝では思わぬ伏兵が立ちはだかった。16名の参加選手中、最も注目度の低かったオルタ・サンチェス(キューバ)。その闘い方は巧妙で、相手の手首を執拗につかんでグレコならではの差し合いを回避し、場外押し出しでポイントをコツコツと稼ぐ。勝つためには手段を選ばない、勝利至上主義の男だった。 クラッチさせてもらえなければ、得意の投げを炸裂させることもできない。結局、文田は一度もクラッチさせてもらえぬまま、サンチェスに敗れ銀メダルに終わった。試合後、文田は涙ながらに決勝を振り返った。 「自分の攻めが通用しなかった。実力不足ですね。相手の研究を上回れなかった」 あれから3年、その銀メダルは文田の自宅のどこかに保管されている。「もう(イベントでメダルを披露するなど)必要な場面もなくなっているので、具体的にどこにあるかはちょっとわからない。ちょっと捜したら、出てくるんじゃないですかね(微笑)」 そもそも、文田はメダルを飾るということにまったく興味がない。世界選手権で獲ったメダルも同じような扱いだという。 「獲った瞬間は大事だけど、その後は過去になるじゃないですか。だったら、ずっと見ていなくてもいい。また次の目標ができるし」 金メダルを目標としていただけに、東京五輪での銀メダルという結果は文田に大きな喪失感をもたらした。すぐに「次のパリで頑張ろう」という流れにはならず、気持ちの整理に時間がかかった。 「東京で金メダルを獲っていたら、また別の形でパリでも金を目指していたと思う」 メダルを獲得したら、何かが大きく変わるのではないか。そんな予感を抱いていたが、目の前の景色が変わることはなかった。 「それが金を獲れなかったせいなのか、(金を)獲った人との違いなのか。自分の中では前者のほうが大きかったですね」
金と銀の差を痛感。「自分の人生が変わらなかった」
オリンピックでは、よく金と金以外のメダルの価値はまったく違うという見方をされる。 文田も金を逸したことで、その差を痛感した。「やっぱり一回も負けていないのと一回負けたのとでは、『どうしてこんなに違うのか』と思いました。やっぱり自分の人生が変わらなかったから、そう思うんですかね」 とはいえ、その後プライベートでは大きな変化があった。翌年7月に結婚し、子宝にも恵まれたのだ。自ら家族を持つことで、オリンピックに対する意識は大きく変わった。 「新しい家族ができて、オリンピックは自分だけの目標ではなくなった。改めて本当の頂点というものをしっかりと獲りにいかなければならないと思いました」 気持ちを切り換えて臨んだ2022年の世界選手権では、プライドを傷つけられる試合に立て続けに遭遇した。準決勝でぶつかったエドモンド・ナザリアン(ブルガリア)は必要以上に腰を引くことで、文田と四つに組見合うことを徹底して拒んできたのだ。組み合わなければ、上半身だけで勝負を競うグレコローマンならではのダイナミックな投げ技は生まれない。 衝撃は続く。3位決定戦でぶつかったムラド・マンマドフ(アゼルバイジャン)も、文田に投げられることが回避したかったのだろう。確証があるわけではないが、組み合った感触として上半身に何かしらを塗っている可能性を捨て切れなかった。 それでも、マンマドフを退け3位に入賞した文田は「ルールを制する者が一番強い」と人目も憚らず号泣した。 いまでも文田はナザリアンのスタンスと試合結果に納得していない。 「自分の中では負けている感じはしないのに、判定では負けというのが悔しかった」 勝負に勝って試合に負けるということか。この大会をきっかけに、文田は心を鬼してファイトスタイルを変えようと試みた。きれいに投げて勝つのではなく、僅差のポイントでもいい。とにかく勝利を。そういうふうに気持ちを改めようとしたのだ。 「どんどん固いレスリングになっていったのは、いまの流れに沿った結果です。そのほうが勝ちやすい。東京五輪までの僕は投げにこだわっていた。投げだけがグレコの魅力だと思っていた。でもそのスタイルが通用しないんだったら、もう投げにこだわる必要はない」