森保監督と1対1、イタリア店で泣き崩れた日 青山敏弘が抱えきれなかった重圧を吐露した夜
青山敏弘が現役生活21年に終わりを告げた
サンフレッチェ広島の元日本代表MF青山敏弘が現役生活21年に幕を閉じた。ワンクラブに情熱を注ぎ続けたバンディエラはラストゲームでピッチに立たず。優勝が懸かっていたJ1リーグ最終節ガンバ大阪戦は1-3で敗戦。来季は広島のコーチに就任するレジェンドが、現役生活で恩師・森保一監督とともに流した涙があった。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞) 【実際の映像】「こんなの泣くしかない」青山敏弘から川辺駿へ…背番号「6」が継承された感動の瞬間 ◇ ◇ ◇ 最後はベンチから、後輩たちの姿を見守った。優勝の可能性があった一戦は先制を許し、苦しい展開に。首位のヴィッセル神戸がリードを保っていたため、9年ぶりのJ1制覇は難しい状況だった。それでもゴールを目指す仲間の姿を目に焼き付けるように、最後までピッチを見守った。 2012年、J1初優勝を飾った。翌13年には連覇を達成。そして15年、3度目の頂点で青山は年間MVPに選出された。この優勝は現在日本代表を率いる森保監督とともに歩み、つかんだ栄光だった。 「森保さんには勝負へのこだわりを教わり、優勝の喜びとその価値を何度も味わせて頂きました」 森保監督のもと、主将として名実ともに日本を代表する選手へと駆け上がった青山。2人の師弟愛は深く、強い結びつきがあった。このまま、またタイトルの喜びを――。そう願ったが、終わりは突然やってきた。 2017年7月3日、成績不振により森保監督の退任が決定。就任6年目、4連敗で前半戦が終了したタイミングだった。当時の織田秀和社長は「足立強化部長と森保監督、私の3人で総括を行ったところ、その場で、森保監督から成績不振による辞意の申し出がありました。クラブとしては慰留をしましたが、本人の意思が固く、辞任を了承しました」とコメントを発表していた。 翌日の練習で森保監督の退任が伝えられた。クラブのレジェンドで3度の優勝をもたらした指揮官。選手にも動揺が広がっていた。 この日の夜、青山はある人に呼び出されていた。広島市内のイタリア料理店。カウンター席に座っていたのは森保監督だった。これから残留争いを強いられる主将と最後の1対1の場だった。指揮官が気にかけていたのはチームのこと、選手たちのこと、何より青山自身のことだった。抱え込まないか、ここからもう1度這い上がれるか。2人の会食で青山は声を上げて泣き崩れた。まだ続く重圧。耐えなければいけない現実。感情をすべて出し切った瞬間だった。 それを分かっていたから、森保監督は主将と2人で話すことを選んだのだろう。決意の夜を終えて、広島はこのシーズン15位で残留を果たした。 その後、森保監督は東京五輪の監督に就任。翌18年には日本代表との兼任監督を務め、青山を招集した。日の丸を背負ってピッチで再会。新体制で主将に任命された青山は“森保イズム”を代表選手に叩き込んだ。2人の信頼関係は揺るがなかった。 最前線で走り続けてきた背番号6の現役生活は終わった。ここから始まるのは恩師と同じ指導者への道。そして森保監督が期待するのは青山の「広島での監督姿」。その日が来るまで。2人は別の場所で、同じ明るい未来を描いていることだろう。
FOOTBALL ZONE編集部・小杉 舞 / Mai Kosugi