「ミドルエイジ」が歳を重ねることやキャリアに不安を感じたら モヤモヤした日常の“からまり”どうほぐすか
そろそろ、他者から「もらう」ではなく「渡す」フェーズへ 新しい場所と役割を楽しむ ■「何者なのか」にからまる 大学院にて、50代女性の准教授(芸術系学部)と話す機会があった。 私が所属している専攻は、学際的(複数の異なる学問領域にまたがる)な色合いが濃いため、担当の先生方がバックグラウンドとして持っている専門領域もバラバラである。 とある講義の一環で、「自分から遠い専門性を持っている先生にアポイントを取って1時間話す」という課題が出たため、その先生とお話しすることになった。どう? おもしろい講義だと思いません?
私が、その先生に目をつけた理由は、大学院に所属しているのに、公的なデザイン関係の仕事をしていたり、起業していたりと、何足ものわらじを履いているからだ。 経歴も、大学院卒業後に一度就職し、その後留学してまた大学に戻っている。ずっと学校内のみでキャリアを積んできた先生が多い中で、キャリアの変遷が大学の先生的スタンダードではないところに魅力を感じた。 それは、「私もそういうふうにキャリアを歩みたい」と、どこかで思っているからだ。仕事や学校、色々な場所を行ったり来たりして、複数のことをやっている人になりたい。
先生とは、1時間ほどお話しした。私は学生として質問をする側だ。先生が現在の肩書になるまでにたどってきた足跡をうかがった。なぜ大学でその専攻を選んだのか、なぜドイツに留学したのか、なぜ出版社に就職したのか、そこからなぜ大学院で教員をしているのか……などなど。 お話を聞いていると、先生のキャリアは偶然に突き動かされているように見えた。でも、つながっている。ビリヤードの玉突きのようにボールが次のボールへと、コツン、コツンとぶつかって、次から次へ突き動かされているようなキャリア。
ぱっと見、前のボールの動きは関係ないように見えても、動いていくうちに次のボールを突き動かしている。最後にコーナーポケットに吸い込まれるまで、先生のキャリアはつながっている。 ■玉ねぎの皮をむいていく 「先生は、色々な肩書をお持ちですが、どの肩書が一番自分のキャリアを表していると思いますか?」。私は、自分でも答えが出ない問題、どんな肩書で生きていきたいかについて尋ねてみた。 先生は言葉を選びながら答えた。「たぶん、編集者でしょうね」。自分自身のこれまでのキャリアを振り返ると、大学の仕事も起業も公共の仕事も、全部編集だった。そして自身のキャリアの骨子は編集者なのだと思うと。