ライバルが「最強の選手だった」 元日本代表MFの想定外…衝撃を受けた存在「俺、やばいな」【インタビュー】
元日本代表MF大津祐樹氏が振り返るドイツの名門ボルシアMG在籍時代
元日本代表MF大津祐樹氏は現役時代、約1年間にわたってドイツの名門ボルシアMGに在籍していた。当時ブンデスリーガでトップ4入りするほどの屈強なチームでは、なかなか出番に恵まれなかった一方、トレーニングでは欧州の第一線で活躍する選手たちと本気でぶつかり合う刺激的な日々を過ごした。そんななか、最も衝撃を受けたチームメイトについて「今振り返ってみても、最強の選手だったと思う」と回想している。(取材・文=城福達也) 【動画】「最強の選手だった」 ボルシアMGで共闘した“天才”元ドイツ代表MFのスーパープレー ◇ ◇ ◇ 2011年7月に移籍したボルシアMGは前年の2010-11シーズン、16位に沈んだ。残留を懸けたプレーオフでなんとか勝利し、かろうじて降格を回避。そんな大不振に陥っていた名門で即戦力としての活躍を見据えていた。しかし、蓋を開けると、合流したチームは想像を大幅に上回る強さだった。 実際、2011-12シーズンは快進撃を見せ、最終的にはトップ4入りを遂げた。加入1年目、出場時間はリーグ戦3試合、時間にして計31分間と厳しい現実を突きつけられることになった。それでも、決して苦悩の日々を過ごしているわけではなかった。欧州の第一線で活躍するチームメイトたちと本気で身体をぶつけ合い、毎日がアザだらけになる激烈なトレーニングは、ある意味で試合よりも刺激的で充足的なものだった。 そんななか、初の海外挑戦で最も面食らったことについて、大津氏は「間違いなく、マルコの存在ですね」と、即座に元ドイツ代表MFマルコ・ロイスの名を挙げた。 「僕がボルシアMGに移籍した1年目は、同じポジションにいたマルコが本格的にブレイクした年だった。リーグのトップ・オブ・トップの選手になっていて、こんなに上手いやつがいるのか……と驚かされた。僕もJリーグで頑張ってきて、なんとか結果を残してきたなかでのブンデスリーガ挑戦だったが、彼は次元が違った」
元ドイツ代表MFマルコ・ロイスの実力に「俺、やばいな…」
大津氏は1990年3月生まれ、ロイスは1989年5月生まれで、いわば同世代にあたる。当時、大津氏は21歳、ロイスは22歳だった。ロイスは同年のリーグ戦で18ゴールを記録。得点王ランキングでも4位に入った。トップ10にアタッカー陣が名を連ねるなか、中盤選手ではロイス、そして13ゴールを記録した当時ドルトムントのMF香川真司の2人のみだった。 「ドイツに渡って最初に出会ったのがマルコだったので、もしこのレベルがリーグの基準だとしたら、俺、やばいな……と思っていたけれど、いざ開幕したら、結果的に彼が国内のトップ・オブ・トップの1人だった。その点に関しては、少しだけホッとした」 改めてロイスの凄みについては「トップスピードの状態で、ドリブル、パス、シュート……なんでもできる選手だった」と語った。どちらかといえば華奢で、身長も180センチと、日本人選手とさほど変わらない体格だが、実際に目の前にすると、存在感の違いを思い知らされたようだ。 「フィジカルが強いわけではなかったが、身体をぶつけること自体が難しい。トップスピードで判断する能力がズバ抜けていて、サッカーIQが本当に高かった。普通のスプリントがそこまで速いというわけではないが、ドリブルスピードがほとんど変わらないのも彼の特長だった。周りを使えるからこそ、自分で持っていく選択が活きる、そんなタイプだった」 2012年に大津はオランダのVVVフェンロ、ロイスはユース時代を過ごしたドルトムントへと移籍し、同じクラブで過ごしたのはわずか1年ではあったが、「今振り返ってみても、最強の選手だったと思う」と、かつてのチームメイトに思いを馳せた。 [PROFILE] 大津祐樹(おおつ・ゆうき)/1990年3月24日生まれ、茨城県出身。180センチ・73キロ。成立学園高―柏―ボルシアMG(ドイツ)―VVVフェンロ(オランダ)―柏―横浜FM―磐田。J1通算192試合13得点、J2通算60試合7得点。日本代表通算2試合0得点。フットサル仕込みのトリッキーな足技や華麗なプレーだけでなく、人間味あふれるキャラで愛されたアタッカー。2012年のロンドン五輪では初戦のスペイン戦で決勝ゴールを挙げるなど、チームのベスト4に大きく貢献した。23年シーズン限りで現役を引退し、大学生のキャリア支援・イベント開催・備品支援・社会人チームとの提携・留学などを行う株式会社「ASSIST」の代表取締役社長を務める。2024年から銀座の時計専門店株式会社コミットの取締役に就任。
城福達也 / Tatsuya Jofuku