【医療的ケア児】保護者は「夜中も2時間おきに介護→熟睡できないまま出勤」の日々…なぜ18歳未満は「法律上、重度訪問介護の対象外」なのか
既得権益を守りたいなら、むしろ「再分配」を選択すべき
日本においては、例えば生活保護受給者の生活は、発展途上国におけるミドルクラスの人たちより豊かなケースも見られます。先進国全体に言えることですが、これは全体の総額が増えることでボトムラインも自然に上がり、全体の福利が向上する所以です。 “上=持てる者”だけがいい思いをするのではなく、全体がうまくいくと“下=持たざる者”もうまくいくことを表していますが、“持てる者”が既得権益を死守しようとすると、“持たざる者”の不満が募り、結果的に既得権益層自体を滅ぼしかねません。 この不満に対する自己防衛としてあるのが、“持たざる者へのケア”を通じて、“持てる者”が既得権益を保持する政策、すなわち社会保障です。社会保障政策により福祉が充実すると、年間10万人を超える「介護離職」や、仕事をしながら介護に従事するビジネスケアラーの問題解消にもつながります。 経済産業省によると、介護離職やビジネスケアラーによる労働生産性の低下に伴う経済損失は約9兆円とされていますが、“持てる者”が再分配を選択し、納税義務を果たして結果的に社会保障にお金を回すことで、介護・保育に専心している方が働けるようになり、労働力の増加により経済活性化が図れます。 予算の枠内で限られたパイを奪い合うのではなく、“持てる者”が再分配を積極的に推進する政策を支持することでむしろ経済を活性化し、パイの増大を目指すことこそ、経済効率の面からも今日本において求められていることだと思います。 “持てる者”は失われることへの不安を有するものですが、不安にとらわれ「富」を囲い込む=既得権益に固執するよりも、寄付や納税を通じた再分配により経済や社会の底上げを支えるという“考え方”こそが確かな自己防衛であり、医療的ケア児の未来にもつながってくると考えます。
ツケはまわってくる…「既得権益への固執」が招く自滅
既得権益への固執が如実に表れているのが、相続税問題です。日本の相続税は50%と、世界に類を見ない高さであり、いかにこの相続税を払うか、あるいは払わなくて済むのかが経営者・資産家等の最大の関心事でもあります。 私もその一人であるオーナー経営者を例にとると、基本的に会社の総資産における純資産の割合(自己資本比率)が30%以上でないと銀行等に不安視され、場合によっては経営危機に陥る可能性すらあります。そして、この会社の生命線である純資産は株主の資産にカウントされることから、オーナー経営者の死後、遺族は純資産の50%を相続税として半年以内に現金で納める必要があります。 会社を経営し、成長させるためには内部留保を増やして自己資本比率(総資産における純資産の割合)を高めなければなりませんが、一方で相続税はどんどん増え、純資産が100億円だと数十億円にものぼります。当然ながら、資産は会社にあっても手元にはないので、適切な相続税対策をしていなかった場合、遺族は会社や金融機関から巨額の借り入れをして相続税の原資を確保しなければなりません。それは言うまでもなく資金繰りを厳しくし、会社経営を危機的状況に追い込むことすらあります。 結果的に相続税の原資を確保することができず、やむなくIPOやM&Aで会社を売却して税金を納めるのが一つのパターンにもなっています。それがかなわなければ、最悪の場合「廃業」を余儀なくされることすらあります。これが事業承継において相続税対策が最大テーマの一つになる理由です。 一方で、税金をできうるかぎり「納めない道」を探す経営者・資産家も多くいます。今まで稼いだ額の何十倍、何百倍を払うのは馬鹿馬鹿しいと、ほとんど相続税のかからないシンガポールやドバイに移住したり、株価がまだ低い段階で株式のほとんどを幼い子どもに贈与して、議決権なし株主にするなどです。これは租税回避の方法ですが、自分の資産と会社の生命を守るため、納税負担を軽減することを考えるわけです。 人間の本質を鑑みると、それもまた心理的反応としては自然なものかもしれません。ところで、重度訪問介護の対象者拡大に反対する身体障害者団体と、巨額の相続税を逃れるために租税回避の道を模索する資産家。まったく異なる属性の両者に、「既得権を守りたい」という人間の本能という面でアナロジーを感じるのは私だけでしょうか。 ですが、その本能の発動は、程度を間違えると極めて危険な道だと考えます。オーナー経営者という立場から、私自身は相続税をしっかり納められる準備をするべきだと考えます。多くのオーナー経営者をはじめとした資産家が、人生最大のテーマの一つに据えている相続税対策は、基本的には「どうしたら巨額の相続税を払わないで済むか」ではなく「どうしたら巨額の相続税をきちんと納税できるか」というところにあり、生前にその準備をしっかりとするところにあるべきと考えます。なぜなら一部特定富裕層の既得権益への過度な固執は、社会全体にお金が回らなくなることに直結し、社会全体の安心や幸福を減退させる可能性すらあるからです。 相続税や法人税などを下げるよう政治家に圧力をかける声が強くなったり、株式を持つ人の多くがあらゆる手法を使って相続税から逃れたりすると、当然税収が減って社会保障費の原資は減り、社会課題が露出して社会状況は厳しくなり、経営が困難になって失業率は上がります。社会保障費は削減され、介護や医療を受けられなくなる人も増加し、労働力は減少して自分自身の足場も崩れていく。 自分の資産を囲い込むことばかり考えていると、いずれ社会全体が地盤沈下し、そのツケは資産家自身にも回ってきます。この究極の形態が革命であり、我慢の限度を超えた民衆が反逆に出て、権力側が甚大な被害を受けた例は歴史からみても枚挙にいとまがありません。 強欲は道を誤らせます。やはり社会のあり方としても、また長期的視点でみれば自己防衛という観点からも“持てる者”は再分配により積極的であるべきなのではないかと考えます。その結果、貧富の格差が是正されて社会も安定し、雇用が拡大して経済が活性化し、富裕層にとってもそうでない人にとっても、よりいっそう希望を持てる安心社会につながっていく。