紫式部と清少納言が最終回まで…クリエイター大河だった「光る君へ」 ついに登場した〝めぐりあひて〟
現代とは違った、当時の「死」の感覚
水野:危篤の道長に、まひろが新たな物語を創作して「続きはまた明日」と語り続ける日々を送りましたね。 このふたりが、『源氏物語』で、紫の上を見送りたくなくて出家を許さなかった光源氏に重なってしまいました。 道長は旅立つ準備ができているけど、倫子さまもまひろも、まだ生きていてほしいと願い、引き留めてしまう。見送る側は、そんなに簡単に「おつかれさまでした」とは思えないよなぁとボロボロと泣いてしまいました。 たらればさん:当時は「死」の感覚が、今とかなり異なっていたと思うんですよね。 生と死の間に出家があって、俗世に生きる人にとって出家した人は「半分死んでいる感覚」、「半分は向こうの世界の人間」みたいなイメージだったんだと思います。 水野:なるほど。 たらればさん:弱っていく紫の上のそばに、なぜ光源氏がギリギリまでそばにいられたかというと、紫の上は出家していないからなんですよね。 出家していたら臨終のときに立ち会えないと思いますし、まひろと道長については、そもそも身分も大きく異なりますから、ギリギリまで看取るという描き方はドラマオリジナルだし、いやあ、倫子さま、心が広いなあと思っていました。 しかし、そのうえで、「おお、紫式部先生の新作が語り下ろされている…、これ誰もメモらなくていいのか!」と思いながら見ていました(笑)。 水野:御簾のそばにいる百舌彦、聞いてないでメモって!みたいな。(笑) たらればさん:記録では道長の最期は、かなり苦しみながら亡くなっています。糖尿病からの多臓器不全といわれ、七転八倒しながら痛みに苦しんで死んだとされています。 ドラマのなかでも(刀伊の入寇で活躍した)隆家がふれていましたが、娘を政争の道具にしてしまった因果応報という亡くなり方をしているんですね。ドラマではずいぶん安らかに亡くなりましたけれども。 水野:まひろの「続きはまた明日」がしみましたよね。 たらればさん:『千夜一夜物語』のシェヘラザード、という指摘を見て、なるほどと思いました。幸せな亡くなり方ですよね。 道長は大胆で豪放磊落な人なんですが、祟りや死を恐れる面もあって。豪華なお寺を建てたり改修したりしています。それって死を安らかにしたい、極楽浄土に逝きたいという気持ちの表れでもあるので、そこもちゃんと描かれていたなぁと思います。