イタリア代表、背番号10の系譜(4)世界衝撃の屈辱…不名誉な十字架…汚点を残したエース
イタリア代表は2018年ロシアワールドカップの出場を逃した。2010年と2014年は2大会連続でグループリーグ敗退に終わる屈辱を味わい、2006年ドイツ大会での優勝を境に栄光から遠ざかっている。その中で、チームの中心として期待された選手たちも苦しんできた。今回はイタリア代表が出場したブラジル大会までのワールドカップで背番号10を任された“クラッキ”(名手)たちの苦闘の系譜を振り返る。※所属クラブは大会前時点、年齢は初戦時点のもの
南アフリカワールドカップ
背番号10:アントニオ・ディ・ナターレ(ウディネーゼ) 生年月日:1977年10月13日(当時32歳) 個人成績:3試合出場/1得点0アシスト 戦績:グループリーグ敗退 イタリア代表デビューはジョバンニ・トラパットーニ政権下の2002年と早かったが、EURO2004終了後に就任したマルチェロ・リッピ監督からは信頼されず、2006年ドイツワールドカップまで全く代表に招集されることがなくなっていた。 それでもワールドカップ優勝後にリッピ監督が勇退し、ロベルト・ドナドーニ監督が就任すると再びイタリア代表の常連になり、EURO2008にも出場を果たす。そして、ベスト8敗退に終わったEUROの後、リッピが再就任しても継続してメンバー入りしていた。 南アフリカワールドカップでは背番号10を託され、グループリーグ全試合に出場し、第3戦のスロバキア代表戦ではワールドカップ初ゴールも奪った。ただ、大会直前にピルロが負傷し、初戦でブッフォンも負傷してしまうなど攻守の要を欠いたイタリア代表はグループリーグで1勝もできず敗退という屈辱的な結果に終わった。 前回王者がグループ最下位は2002年日韓ワールドカップのフランス代表以来、さらにイタリア代表が1勝もできなかったのは17回目のワールドカップ出場で初のことだった。ディ・ナターレはイタリアサッカー史に汚点を残した大会の背番号10という不名誉な十字架を背負うことになってしまった。
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