【親孝行物語】「息子が亡くなってから、生きる希望がなくなった…」憔悴した母を救った娘のおせっかい~その2~
2024年5月「風呂キャンセル界隈」という言葉が話題になった。これは、精神的、肉体的に疲労したり、気力がなくなったりして何週間も入浴していない状態を指すという。 その直後、東京都監察医務院が発表した、東京23区の若者(0~30代)の「孤独死」のデータが注目を集めた。2019年~2021年の3年間分を足すと、1人暮らしの自宅で亡くなった若者が1270人(発表数)もいたのだという。死因についての言及はないが、背景に「セルフネグレクト」も推測される。これは、「自分で自分の世話をしなくなる」という意味で、風呂に入らず、食事も取らず、生命を維持するための活動を放棄する状態を指している。 東海地方に住む芳子さん(75歳)は、「息子が亡くなってから、私もセルフネグレクトになりました。娘がいなければ、私は死んでいた」と語る。 【これまでの経緯は前編で】
会社員だと嘘をついていた息子の汚部屋を片付ける
芳子さんは「幸せになってはいけない」という思いが強い女性だ。その背景には、戦中や終戦後の食糧難の時代に、父と祖母が都会から食べ物を求めてきた人を不当に扱った罪を、償いたいと思っていることによる。 幸せを求めないことは、謙虚に生きることにもつながる。芳子さんは地元の高校から信金に勤務し、25歳で小学校教師と見合い結婚。27歳で娘、翌年に息子を産み、穏やかな人生を送っていた。 「子供2人を東京の大学に出して、二人ともいい会社に就職して、娘は20代で結婚して孫2人も授かって、本当に幸せだったんです。主人は7年前にがんで亡くなりましたが、77歳でしたので、後悔はありません。2人で豪華客船の旅にも行きましたし」 芳子さんの人生は71歳の時に暗転する。千葉の病院から「息子が倒れて危篤状態だ」と連絡が入ったのだ。 「あれはちょうどコロナの冬でした。病院から連絡があったので、“コロナで死んじゃう”と心臓が飛び出そうになりました。慌てて搬送先の千葉の病院に行くと、コロナではなく糖尿病だという。原因が糖尿病の網膜剥離による視界不良で転倒し、頭を強打したことだと聞かされました」 息子は42歳と若かった。18歳で地元を離れ、その後もよく帰ってきていた。年に2回の帰省時は「同じ会社で仕事をしている」と言い、芳子さんに1万円とクッキーなどの菓子を持ってきた。 しかし、実態は新卒で勤務した会社を早々に辞めており、20年間非正規雇用で職を転々としていた。娘と息子は仲が悪く、娘は病気のことも、仕事のことも知らなかった。 「娘は“弟が死んだら、便利屋さんを派遣するから教えて”と言う。とりつく島もないと思い、息子の家に行き、状況を把握しようとしたのです。息子は私には“中野区に住んでいる”と言っていましたが、身分証明書にあった現住所は、千葉県でした」 都心から1時間ほどかかる駅からバスで20分、古びたアパートの玄関のドアを回すと、鍵がかかっていなかった。その瞬間、冬にもかかわらず悪臭が流れ出した。中をみると、1メートルほどゴミが堆積する様子が見えた。 「清涼飲料水、エナジードリンク、弁当がらなどが積もっているんです。テレビで見た汚部屋の光景ですよ。びっくりして、その夜はホテルに泊まり、翌日からひたすら片付けました」1週間かけて出したゴミの袋は50袋。下着や服の洗濯をした形跡はなく、汚れたものが部屋に堆積していた。ペットボトルの中には、排泄物が入ったものもあり、おぞましい光景だったという。 「セルフネグレクトです。我が子がこんなにも壮絶な生活をしていたのかと思うと、情けないやら悲しいやら。お姉ちゃんがしっかりしていたから、息子のことは本当に可愛くて、誰よりも愛して育てたのに、こんなことになっているなんて」 浴槽も弁当ガラとペットボトルで溢れていた。弁当ガラの隅にシャワーの飛沫が溜まり、カビが発生していた。 「こんなところで10年以上も生活していては、病気になって当たり前。必死に掃除しました。コロナで見舞いにも行けないし、様子がわからない不安を掃除で誤魔化していました。息子が帰ってきて“お母さん、ありがとう”と言ってくれる瞬間を待っていたら、片付けが終わってから2日後に“お亡くなりになりました”と連絡が入ったのです」 コロナで見舞いも行けず、葬式もできない時期だった。病院にタクシーで向かい、霊安室で息子の顔を少しだけ見た。死を受け止める間もなく、火葬されて、骨になって戻ってきた。 「それからはあっという間。娘と婿さんが駆けつけてきて、“お母さん大丈夫? でも私たち、あいつが死んでせいせいした”と言うので理由を聞いたら、息子は娘夫妻にお金の無心をしていたそうです」 息子が住んでいたアパートを引き払い、家に帰ったら、全く何もやる気が起きなくなってしまった。