【親孝行物語】「息子が亡くなってから、生きる希望がなくなった…」憔悴した母を救った娘のおせっかい~その2~
娘から「生きていてよかった」と言われる
芳子さんは家に帰ってきて、ベッドに横になった。息子が亡くなってから、生きる希望が抜けていったという。 「まず、息子の間接的な死因になった糖尿病は、私の父の因縁だと思いました。私が息子に先立たれたことで苦しむのは、父が重ねた業のようなものが、私に降りかかってきたからだと。このまま私が死ねば、娘にかかる悪い因縁が断ち切れると思ったんです」 そして、芳子さんはひたすらベッドで寝続けた。悲しみから逃れるように寝ていたという。 「主人も息子もいない。この世に生きる価値はないと思ったんです。水は少し飲んでいましたが、ものを食べる気が起きない。お風呂にも入らず、1週間眠っており、気がついたら病院にいました」 娘は芳子さんに連絡を取ろうとしたが、繋がらない。家の電話は詐欺防止のために取り外してある。娘は実家に向かい、芳子さんの名前を呼ぶも、反応がない。そこで救急車を呼んだのだという。 「過労と脱水症状で気を失っていたみたいです。あと少し遅かったら後遺症が残っていたかもしれないと言われたのです。点滴を打って2日目に退院しました。あのまま眠っていたら、息子のところに行けたのにな、と思いましたけれどね。家に帰ってきたら、娘が家にいて“お母さんが帰ってきてよかった”と泣いている顔を見た時に、この子はいつまで経っても娘なんだと。“私はまだ母として必要とされているんだ”と感じたのです」 娘は昔から芳子さんに厳しかった。服のセンスが悪い、口うるさい、うざい、自分で決断しないなど、芳子さんのことを非難し続けてきた。 「娘が出産し、手伝うと言ったのに、“お母さんみたいに優柔不断な人間になったら嫌だから、手伝わないで”と言われました。娘に必要とされていないと思っていたんですが、そうではなかったことが嬉しかったです」 また、娘は「そこにいても寂しいだろうから、東京に来る?」と言ってくれたという。 「婿さんの実家が持っているアパートに住んでもいいと言ってくれたんです。ありがたいですよね。もちろん、お断りしましたけれど」 その後、娘は電話をかけてきたり、2~3ヶ月に一回、顔を見にきてくれたり、かまってくれるという。芳子さんは、夫、息子に先立たれた。弟の一家とも疎遠になっており、血族は娘だけだ。そんな娘が、遠慮せずにものを言い、安否の確認をしてくれるのが、うるさくもあり、うれしいという。 「気にかけてもらっている、必要とされていると感じることで満たされる」と続けた。今後はそのための健康づくりに取り組むのだという。 取材・文/沢木文 1976年東京都足立区生まれ。大学在学中よりファッション雑誌の編集に携わる。恋愛、結婚、出産などをテーマとした記事を担当。著書に『貧困女子のリアル』 『不倫女子のリアル』(ともに小学館新書)、『沼にはまる人々』(ポプラ社)がある。連載に、 教育雑誌『みんなの教育技術』(小学館)、Webサイト『現代ビジネス』(講談社)、『Domani.jp』(小学館)などがある。『女性セブン』(小学館)などにも寄稿している。
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