【光る君へ】中宮彰子の壮絶な出産ドキュメント 物の怪 VS 僧&陰陽師チームのバトルのゆくえ
主人公・まひろ(藤式部/演:吉高由里子)が書く『源氏物語』は一条天皇(演:塩野瑛久)をはじめ多くの人々の心を掴んだ。そして中宮彰子(演:見上愛)も徐々に自身の気持ちを表に出すようになり、一条天皇との心の距離も縮まっていった結果、遂に2人の間に敦成親王が誕生する。ドラマでは出産時の騒々しい様子が描かれたが、実はこの時の一部始終も紫式部が『紫式部日記』に記していた。 ■紫式部が臨場感たっぷりに綴った物の怪とのバトル 前回ご紹介しましたように、中宮彰子の初めてのお産は難産となりました。この時代、出産の場には、多くの物の怪がやってくると信じられていました。そのお産がもたらす政治的な影響力が大きければ大きいほど、お産の現場にやってくる物の怪は多く、何としても、その出産を阻止しようとしたのです。当然、迎え打つ側も万全の準備をしていました。今回はお産の邪魔をしようとする物の怪と祈祷の力で物の怪を退散させようとする僧侶達、よりまし達の奮闘を中心にご紹介しましょう。 『紫式部日記』は、寛弘5年(1008)9月10日早朝に陣痛を迎えた中宮彰子が白い御帳台に移ったことを記しますが、それとともに、中宮をとり囲むように修験僧や陰陽師が集められていたことも書かれています。 中宮彰子さまは一日中不安そうに起きたり横になられたりした。修験僧は中宮についた物の怪達をよりまし(霊媒)にかり移し、調伏しようと大騒ぎをしている。ここ数か月、多く詰めかけていたお屋敷の僧達は言うまでもなく、諸国の山々寺々を訪ねて、修験僧という修験僧は一人残らず参り集い、その祈祷のために三世の仏もどんなに空を飛び回っておられるかと思いやられる。陰陽師も世にいる陰陽師をすべて召し集めて祈らせたので、八百万の神々も耳を振り立てて聞かないものはあるまいとお見受けしたのである。 中宮の安産のために国中の修験僧・陰陽師達がこの道長の邸宅・土御門殿に集められていたことが記されています。修験僧は中宮にとりついた物の怪をよりましに移そうと大声で祈祷します。よりましとは、霊をおろす霊媒のことです。この時代、祈祷の力によって、とりついた物の怪をよりましに移し、さらにそこから退散させていたのです。よりましに移されることで、物の怪の力は弱まると信じられていました。『源氏物語』葵巻に記された、有名な六条御息所の生霊は葵上にとりついたまま、なかなか、よりましに移らなかった、と語られています。六条御息所の生霊は、原文に「執(しふ)ねき」と記されているように、それだけ執念深い霊だったのです。中宮彰子の安産のために、何としても物の怪は退散させなくてはなりませんでした。 修験僧達の必死の祈祷によって、三世(前世・現世・来世)の諸仏がどんなに空を飛び回っておられるか、と紫式部は視覚的に表現しています。祈祷の力によって、招来された仏達が物の怪を退散させるべく、この空間を激しく飛び回っている様子が鮮やかに映像化されているのです。一方で、陰陽師達による祈祷の様子は、八百万(やおよろず)の神が耳を振り立てて聞かないものはあるまい、とこれも視覚的に表現されています。耳を振り立てるというのは、大祓(おおはらえ)の祝詞(のりと)の「高天原(たかまがはら)に耳振り立てて聞くものと」という一節を踏まえた表現でした。僧侶達が諸仏を動かし、陰陽師達が神々を動かすというわけで、物の怪を迎え打つ態勢は万全であることが表現されています。 この後、『紫式部日記』は、御帳台の西面で、修験者達が、物の怪が移された、よりましに加持祈祷を加える様子を記します。また、南面には、折り重なるように伺候した高僧達が、不動明王を眼前に呼び現わそうとするように頼んだり、恨んだりしている様子を記します。高僧達は、すっかり声も枯れてしまうほどの熱の入れようです。しかし、この日、彰子に出産の兆候はなく、翌日の11日を迎えることになり、暁に北廂に移りました(前回の配信でも触れました)。 11日の昼に、彰子は無事に皇子を生むのですが、出産の直前でも、物の怪達の抵抗が激しかったことが記されています。 いよいよ出産をなさるときに、物の怪がくやしがってわめきたてる声などのなんと恐ろしいことよ。源の蔵人にはそうそという人、右近の蔵人には法住寺の律師を、また宮の内侍の係の局にはちそう阿闍梨を受け持たせていたところ、よりまし(霊媒)が物の怪に引き倒されてあまりにかわいそうなので、さらに念覚阿闍梨を召し加えて大声に祈禱する。阿闇梨の効験が薄いのではなく、物の怪がひどく頑強なのであった。宰相の君の係の局の招禱人として叡効を付き添わせたところ、一晩中、大声で読経して夜を明かして、すっかり声もかれてしまった。物の怪が早く移るように新たに召し加えた僧達も、みなうまく駆り移らないで、大騒ぎをしたことであった。 ここに物の怪側の激しい抵抗が描かれています。悔しがる声は、悪霊達の最後のあがきのようです。もちろん、その声は、よりましの口を借りて発せられたものです。先述したように、よりましとは、物の怪を下ろす霊媒のことで、僧などの祈祷の力によって、いったんよりましに物の怪を下ろして、退散させるのでした。よりましは少女が務めることが多かったようです。ここでは、よりましをグループに分け、それぞれのグループを中宮付き女房が担当し統括していました。また、グループごとに、僧侶が割り当てられていて、よりましに下ろした霊を退散させようと死力を尽くしていたのです。 出産直前の最後の攻防戦であると言えましょう。物の怪もさるもの、宮の内侍が担当するグループは、ちそう阿闍梨(千算か)が祈祷の担当だったのですが、下ろした物の怪に、かえってよりましが引き倒されてしまいました(ちそう阿闍梨が、物の怪がついたよりましによって、倒されたとする説もあります)。そこで、念覚阿闍梨を召し加えて大声で祈祷しました。阿闇梨の効験が薄いのではなく、物の怪がひどく頑強なのであった、と紫式部はフォローしています。 もたらされる栄光が輝かしければ輝かしいほど、それを阻止しようとする闇の力は強くなります。物の怪達の抵抗が強ければ強いほど、このお産が成功した時の重みが際立つのです。 ところで、物の怪達はここで自らの正体を明かしてはいません。実際の現場ではどうだったのでしょうか。彰子の父道長やその一族に恨みを持つ敗者の死霊は少なからずいたはずです。道長の祖父師輔に恨みを持ち、その子孫達に祟った藤原元方のような、当時の有名な怨霊もいました。元方の霊はこの場に来なかったのでしょうか。また一条天皇の后ということでは、一条天皇の寵愛を受けながら、三番目の子の出産直後に亡くなった皇后定子がいます。定子が物の怪となって、この場に現れる可能性を少なくとも道長や彰子に近い人々は考えなかったでしょうか。 いずれにしても、『紫式部日記』は物の怪達が恨み言を言ったとのみ記して、その正体については沈黙しています。闇は光を際立たせるためにあります。仮に物の怪が自らの正体を明かしたとしても、この主家の慶事の記録に書きとどめはしなかったでしょう。 この記述に続いて、次のような描写が置かれています。 正午に、まるで空が晴れて朝日がさし出たような気持がする。ご安産でいらっしゃるうれしさが比類もないのに、そのうえ皇子さまでさえいらっしゃった喜びといったら、どうして並ひととおりのものであろうか。 皇子誕生が輝かしい朝日に表象されて記されています。物の怪達の阿鼻叫喚に僧侶達の必死の祈祷、前回紹介した女房達の涙などの試練を乗り越えて、中宮彰子は道長家に大きな幸いをもたらしました。『紫式部日記』はそのことを記しとどめ、今に伝えているのです。 <参考文献> ■福家俊幸『紫式部 女房たちの宮廷生活』(平凡社新書)
福家俊幸