ヤマハの新しい技術の扉を開いた、ジェネシスコンセプトの申し子FZ250フェーザー
現在に続くヤマハ4ストロークエンジンの基礎を作ったとも言えるジェネシスコンセプトも、登場から来年で40周年となる。その末弟ととして1985年に登場したFZ250フェーザーは、バイク業界をひっくり返すほどの衝撃を与えたモデルだった。 【画像】FZ250フェーザーのディテールや関連モデルをギャラリーで見る(21枚) 文/Webikeプラス 後藤秀之
脅威の4ストロークDOHC16バルブ4気筒エンジン
1980年代中盤までヤマハの250ccクラススポーツバイクは、2ストロークエンジンを搭載したモデルしか存在しなかった。1985年、ヤマハはそれまでの「2ストロークのヤマハ」というイメージを覆すようなモデルを発売した。他のメーカーの4ストロークエンジンを搭載したモデルを一気に突き放す、水冷4ストロークDOHC16バルブ4気筒エンジンを搭載した「FZ250フェーザー」である。 このFZ250フェーザーは同年発表されたFZ750と共に、「ジェネシス」という新しいバイク作りのコンセプトを掲げていた。この「ジェネシス」とは「創世記」という意味で、「ひとつひとつのパーツに至るメカニズムの全てを、トータルパフォーマンスに向けて集約し機能させることで高いマン・マシン・コミュニケーションを作り込む」という技術思想であった。このジェネシス思想は4ストロークエンジンを搭載したバイクに用いられたもので、それを象徴するのが45°前傾したシリンダーレイアウトだ。FZ250フェーザーのエンジンも当然この45°前傾シリンダーレイアウトを採用しており、レッドゾーンは16000rpmから、最高出力は45PS/14500rpmというそれまでの常識からは考えられないような高回転エンジンに仕立てられていた。 水冷4ストロークDOHC4気筒エンジンを最初に搭載したのはスズキのGS250FWだが、搭載されるエンジンは1気筒あたり2バルブだったため車名から4バルブを表す「X」が省かれている。最高出力は36PS/11000rpmと当時としては充分なものであったが、2ストローク車と同等の45PSを発揮するFZ250フェーザーの登場でその存在は霞んでしまった。その後ホンダからCBR250Fourが同じく45PS/14500rpmで登場、超高回転型4ストロークエンジンの時代が到来した。