「あの年になっても性欲があるのかしら?」…世界で最も早く「老年の性」を書いたのは日本の文豪だった
いまや老人にも性欲があることはよく知られていますが、日本で高齢者の性に対する理解が進んでいる理由の一つに、昭和の文豪たちによる「性にまつわる老い本」の存在があるといいます。 【エッセイスト・酒井順子さんが、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、あらゆる「老い本」を分析し、日本の高齢化社会や老いの精神史を鮮やかに解き明かしていく注目の新刊『老いを読む 老いを書く』(講談社現代新書)。本記事は同書より抜粋・編集したものです。】
“発見”された「老年の性」
『瘋癲(ふうてん)老人日記』とほぼ同時期に、川端康成もまた、老人と性にまつわる小説を書いている。1961年(昭和36)に刊行された『眠れる美女』がそれであり、主人公は67歳の江口という男。 舞台は、高齢男性が一夜を過ごしにやって来る、謎の家である。その家では、睡眠薬によってぐっすりと眠らされた裸の若い女性が布団に横たわっていて、老人はその娘と一晩、添い寝をするのだ。娘を起こさなければ何をしてもいいのだが、挿入行為は禁止されている。 江口はその家で初めての晩を過ごすと、つい二度目、三度目と、回を重ねていく。その家を利用するのは、既に性的能力を失った老人が多いようだが、江口はまだ「男でなくなってしまった老人」ではなかった。そのことを証明するため、眠っている娘と一度は事に及ぼうとするが、娘が処女であることを知って、行為を中断する。 何をしても起きることのない若い娘を高齢男性に添い寝させるというビジネスは、決して現実離れしたものではない。眠れる美女は、高齢者を嫌がらないし、性的能力の衰えを馬鹿にすることもない。彼女達は、彼等のプライドを傷つける心配がないのだ。 川端康成は当時、60代前半。老いの階段を上りはじめた頃だ。江口と同様に、老いの哀しみを味わう一方で、「男でなくなってしまった」わけではないものの、老いがもたらす「厭世」と「寂寞(せきばく)」に見舞われるという状態だったのかもしれない。 このように、日本を代表する文豪である谷崎潤一郎と川端康成が、同じ時期に老人と性についての小説を書いたわけだが、ドナルド・キーンは、エッセイ「谷崎潤一郎の文学」において、『瘋癲老人日記』は「老年の性の問題を扱ったもの」であり、それは、 「世界文学全般においても、私の知る限り唯一の例」 と書いている。老人と性の問題は、この時期に日本で“発見”されたのだ。