若き女性“鬼師”が「清水瓦」の再興めざし…44人が死亡した豪雨災害で歴史が途絶えた伝統産業 静岡
50年前の豪雨被害によって歴史が途絶えた郷土の伝統産業を令和の時代に再興させようと取り組む女性がいる。女性の仕事は鬼瓦を製作する“鬼師”だ。 【動画】25歳女性“鬼師”の夢「瓦の良さを知って」 イヤリングなど小物専門店オープン 父と守る日本の景色
屋根の上に飾られる「鬼瓦」を製作
屋根の上に飾られる鬼瓦の製作を専門とする鬼師・長澤玲奈さん(25)。 鬼瓦を作る際は「線を彫る時にはきれいな影ができるように、深さで下から見た時にも顔が怖く見えるように意識している」そうだ。 手がけているのは静岡市内を流れる巴川流域の良質な土を使った清水瓦で、明治時代に生産が始まったと言われている。
豪雨で途絶えた伝統産業を守りたい
しかし、今から50年前の1974年、静岡県内全域に甚大な被害をもたらした七夕豪雨がすべてを変えた。 県内では44人が死亡し、約8万棟が浸水したが、特に静岡市の中心部を流れる安倍川流域と巴川流域で浸水被害が深刻で、清水瓦を作るほぼすべての窯元が廃業を余儀なくされ歴史が潰えることに。
長澤さんはこの事実を屋根瓦の施工を専門とする父・宗範さんから学生時代に聞いたと振り返る。 鬼師・長澤玲奈さん: 同じ清水に生きていて、自分がその(瓦に関わる)血筋だったのに清水瓦の存在を知らなかった。瓦は同じだと思っていて、清水瓦もそういう状況(災害)で本当になくなってしまったものだったので、広めなければいけないと思ったのが、より活動を熱心にやろうと思ったきっかけ
父の話を聞いて瓦職人の道へ
元々は養護教諭になりたいと思っていた長澤さん。 職人気質で寡黙な父からは仕事の話を聞くことはほとんどなく、家業を継ぐつもりもなかったが、ふとしたときに「俺らの代で瓦は終わり」という話を聞き、さみしさを感じて瓦職人の道を選んだという。 高校卒業後は瓦産業が盛んな愛知県の三河地域の窯元で修行し、生まれ育った地元・清水に戻ってきた。
鬼師・長澤玲奈さん: 当時の職人に話を聞いて回った。みんな「すごく大変だった」と言いながらも笑顔で楽しそうに「家族でこうやって瓦を持って」「一晩中 窯のそばに親父がいて」「火を見ながらやっていた」「家族や地域のみんなで頑張っていた」と聞いた