「JAL初の女性社長誕生」が注目される違和感… “男女が真に平等な職場”を実現するために必要なシンプルな視点
推進しても女性管理職が増えない2つの「ふざけるな」
この実態をみれば、やはり男性が職場において、女性の個性や能力の発揮を妨げているからなのか…。令和になっても男性中心の社会が引き継がれているというのだろうか…。そんな思いも頭をもたげる。 ひと昔前であれば、筆者も人事の現場を熟知するものとして、働き手が男性ばかりの職場生活において、“妨害”とは言わないまでも、「そのような実態があった(であろう)ことは否定できない」と答えた。しかし、いまは同じように発言をしても的確ではないという認識がある。 その理由は企業の女性活躍推進室長など、その任にあたる女性管理職からこんな相談を受けるからだ。「女性活躍推進について女性社員に働きかけると、言葉は悪いですが2つの異なる『ふざけるな』が返ってきます」。 1つめの「ふざけるな」は、「これまでも男性社員と対等に渡り合ってきたはずの我々に、今さら女性活躍推進を担えなどふざけるな、バカにしているのか」というもの。 2つめは、「これまでも家庭と仕事をなんとか両立させてきたのに、『管理職になれ』なんて重責を押し付けてきてふざけるな、家庭を崩壊させる気か」というもの。要は職場生活におけるこれまでの女性をその立場や思いをひと塊にして、男性との対立構造に押し込むことはできないということだ。
「女性が」に感じる強烈な違和感
筆者は外資系企業のキャリアが長かったため、今回のような女性がトップになることになんの違和感もない。逆にいえば、「女性がトップになる経営的なプラス面はどうなのか」という見方があるとするなら、そこには強い違和感を抱く。 優れたトップなら経営のプラスになることは間違いないと思うからだ。それが女性か男性かは全く関係ない。 本来、優れた個性、能力に「性差」は存在しないはずだ。たとえば「LGBTQがトップになる経営的なプラス面」だとしたら、どのように答えるか。それと同じくらい、「女性が」を主語にして能力を語ることに違和感を覚える。筆者だけだろうか…。