「幸福度が高く、成果も出せるチーム」は、何が違うのか? ポーラ幸せ研究所が見つけた「7か条」
幸せ研究で、「一般社員」が変わった
──幸せ研究を継続するなかで、ポーラの社内で起きた変化があればお聞きしたいです。 1つは、社内の部長や課長たちを対象にリーダー研修をしたときに、彼らが自身の内面に向き合うようになったことです。リーダーたちに「幸せとは何なのか」という問いを投げかけたところ、参加者の一人が「及川さん、僕って幸せなのかな。うちのメンバーは僕と働いていて幸せなんだろうか」と言い始めて。 幸せについて問われると、誰もが会社の業績よりも、ひとりの人間としての生き方や、周囲との関係性と向き合うようになっていく。リーダー一人ひとりの鎧がとれていく瞬間に立ち会えたのはよかったですね。 また、ポーラ内で起きた変化といえば、マネジメント層以上に、一般社員がチームビルディングを盛り立ててくれていることです。たとえば、大阪のある社員が幸福学に共感してくれて、「(幸せ研究所の)近畿支部をやらない?」と尋ねたら、彼女が支部長として近畿地区の幸せ座談会を開くようになりました。また静岡地区では、ある女性社員が「静岡のチームを幸せなチームにしたい」と考え、幸せコンサルになるためのワークショップを開くなど積極的に展開しています。 ビジネスパートナーたちを幸せにするには、社員の自分たちが幸せにならないといけない。そんな思いから、一社員が起点になってチームビルディングを行い、各地で立ち上がったワーキンググループがさまざまな「幸せ活動」を始めてくれています。 人事や上司が呼びかけるのでなく、個々の社員が自分たちを「幸せ研究」の研究材料にして、発表に向けたアウトプットを出そうとしてくれる。これってとてもありがたいことですよね。私は、役職にかかわらず小さなリーダーがいっぱいいるのが理想だと思っています。「この指とまれ」と言って、一人でもフォロワーができれば、その人はリーダーですから。 ──幸せなチームづくりの活動を組織内に広めたいものの、経営層がピンときていない場合、マネジャー層や人事はどんな働きかけをするとよいでしょうか。 自分たちの企業理念やビジョンといった原理原則に沿うことが大事だと思います。ポーラの場合は、ポーラの企業理念を錦の御旗にしたんです。「美と健康を願う人々および社会の永続的幸福を実現する」と謳っているのだから、永続的幸福とは何かを考えることが大事だよね、と。幸福とは、ポーラの商品とサービスを通じて実現するだけでなく、もっと社会に広く働きかけることが必要ではないか? これはコロナ禍で出てきた問いでした。 社会に対してなら、より視界の開けたアウトプットが求められるし、幸せについて考える集団がいてもいいのではないか。そう話すと、取締役会の参加者たちも「たしかにそうだね」と納得してくれました。 この例のように、企業理念に紐づけて、幸せについて考えることの意義を経営層に伝えていくことで、理解してくれる人が増えていくのではないでしょうか。 ■「他責思考」を全否定してくれた、茨木のり子の詩集 ──及川さんの人生やキャリアに影響を与えた本は何でしたか。ご自身に与えた影響とともにお聞かせいただけると幸いです。 人生に影響を与えたバイブルは、茨木のり子さんの詩集『おんなのことば』です。手に取ったきっかけは、30代の頃のマネジメント研修ですすめられたこと。子育てに追われていた時期で、詩集なら読めるかなと手に取ったら、「自分の感受性くらい」という詩に叱咤された。「初心消えかかるのを 暮らしのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった」「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」。こうした言葉が、当時忙しさを言い訳にしていた自分にズシリときたんです。まさに他責思考を否定してくれましたね。この詩集は好きすぎて、色々な人にプレゼントしているので、10冊くらいストックしています。 2冊目は、精神分析学者のフランクルが「人生を肯定する」ことを訴えた『それでも人生にイエスと言う』。40代の壁にぶつかっていたときに、フランクルの『夜と霧』を読んで感動し、この講演集にも手を伸ばしました。 印象的だったのは、「人生に意味を問うのではなく、人生の意味に応えるような生き方をしなさい」という示唆でした。仕事も同じで、意味をつくらないといけないなと。もしも労働者が「会社のために自分の時間を使っている」という発想でいたら、まるで奴隷のようになってしまう。一方、「企業理念を実現するために、あなたは何をしますか?」と問われているのなら、仲間と手を取り合ってその実現のために働いていると思える。すると労働者は奴隷ではなく、社会的責任を果たす存在になる。そんな気づきをくれた一冊です。 人生を変えた本の3冊目は、前野隆司先生の『幸せのメカニズム』。この本のおかげで、持続的な幸福感を高める「幸せの4つの因子」の考え方に出合い、ポーラ幸せ研究所の設立につながりました。