コンピューターゲームはスポーツか、ビョーキか。eスポーツとゲームと依存
eスポーツ採用の動きが多方面で広まっています。熱戦が続く今回のアジア大会でもデモンストレーション競技として初めて実施され、1日には日本代表チーム金メダルのニュースも飛び込んできました。授業カリキュラムに取り入れる学校も国際的に増えてきいてます。 しかし一方で、eスポーツの過熱化に対して警鐘を鳴らす意見もあります。米国では8月末、eスポーツ大会会場で銃乱射事件が起き、複数の死傷者が出ました。eスポーツに限らず、私たちの周囲では、片時もスマホを離さず、ゲームに夢中になっている人は少なくありません。なぜ私たちはコンピューターゲームやビデオゲームの虜(とりこ)になってしまうのでしょうか。 建築家で文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋さんが、人間とゲームの関係性について執筆します。
アジア大会にeスポーツ
eスポーツがアジア大会の正式種目になるかもしれないという。今回のジャカルタ大会ではトランプ(カード)のブリッジが正式種目となったのだから可能性は高い。オリンピックにもそういう議論が起きるだろう。 一方で、WHO(世界保健機関)が「ゲーム依存症」を病気と認めて警報を鳴らしている。もはや健全とはいえない状況が蔓延しているのだ。そして最近アメリカでは、ビデオゲームの会場で銃乱射事件が起き、何人かの死傷者が出た。 日本の電車の中では、ほとんどの乗客がスマホとにらめっこしている。ウェブで何かを調べたり、メールやマンガを読むのも、周囲をかえりみない迷惑な場合があるが、ゲームに夢中になってとなりの人に肘がぶつかり邪魔されたことに腹を立てて舌打ちしているような人を見ると、国の将来を憂えたくなる。 こういったものを総称して「コンピューターゲーム」と呼んで、その文化論を考えたい。意外にも人間の本質が浮かび上がるような気がする。政治家は、カジノの規制を緩めるにあたってギャンブル依存症を問題にしているが、人間とゲームとの関係は、もっと切実なところにさしかかっているのだ。