山小屋で働くことで再発見した山の魅力と人生観。黒部五郎小舎ですごした夏|PEAKS 2024年9月号(No.167)
山の生活が生きることの本質を教えてくれた。
なにもせずただ景色を眺める時間はぜいたくそのもので、いつもなら目に留まらない空模様や季節の移ろいにも敏感になっていく。 私がもっとも印象的だったのは夕焼けだ。梅雨が明けた7月下旬は、例年と同じように午前中は晴れて、午後はスコールという天気が続いた。そしてその後は決まって、美しいグラデーションが空を彩るのだ。茜色に薄紅色、橙や黄金色と、ころころ変化する色彩と雲のアートが見たくて、空を見上げるのが楽しみになっていた。 ラジオが連日のように猛暑を報じているのが嘘のように、お盆が近づくと朝夕はぐっと冷え込むようになった。小屋周辺に群生するコバイケイソウが色づきはじめ、青々としていた夏の景色に秋の気配が漂いはじめる。 秋の訪れを知らせるオヤマリンドウの花もちらほら現れると、下山日が刻々と近づいていることを知らされているようで、感傷的な気分に浸ることもあった。ちなみにコバイケイソウは数年に一度咲く花として知られるが、どうやら2023年はハズレ年だったらしい。もしかすると、今年の春は白い花がいっせいに咲く姿を見ることができるかも? 休みをもらえた日は、天気が許す限り北アルプスの深部をわが庭のごとく歩きまわった。富山・長野・岐阜3県にまたがる三俣蓮華岳は気づけば5回も登っていたし、もちろん黒部五郎岳もお気に入り。地名である「黒部」と、岩がゴロゴロ転がる地帯・ゴーロに由来する「五郎」を組み合わせて名付けられた黒部五郎岳。黒五(クロゴ)と呼ぶ人が多いが、わたしは愛情を込めて五郎さんと呼んでいる。 北アルプス屈指といわれる大迫力のU字型カールでは川のせせらぎが響き、シナノキンバイやチングルマなどの高山植物が咲き誇る。ちょうどいいサイズの岩を見つけたら、ごろんと寝そべるのも気持ちいい。まるで楽園にいるような夢見心地にさせてくれるのが、五郎さんの魅力だ。 山頂に着くと、穂高連峰や後立山連峰など北アルプスの峰々が遠くまでよく見える。筆舌に尽くしがたい景色をうっとり眺めながら、登頂を果たしたほかの登山者と山の話に花を咲かせるのも幸せな時間。あまりの居心地のよさに、山頂に3~4時間ほど滞在することもあった。それでも時間に追われず堪能できたのは、黒部五郎小舎で働くスタッフの特権だと思う。 日中はウソやホトトギスの鳴き声がこだまし、登山道では雷鳥が小首を傾げながらハイマツをついばむ。まん丸い目をしたオコジョは、岩のスキマからひょっこり顔をのぞかせては登山客を喜ばせるなどサービス精神旺盛だ。こうして黒部五郎小舎に来てからさまざまな景色や動植物と出合ったが、いっしょに働いたメンバー以上に素敵な出会いはなかった。 収容人数は約60名。いい意味でこぢんまりした黒部五郎小舎では、お客さまもスタッフ同士の距離も自然と近くなる。黒部五郎小舎で働くのは初めてという女性の同期6人とは、文字どおり四六時中生活をともにした。はじめは窮屈に感じないか心配だったが、これがまた合宿みたいで楽しい。仕事が終わり消灯までの時間、毎晩のように好きな音楽や政治、環境のこと、これからの人生について思い思いに話す時間が好きだった。 みんな年齢も生まれもバラバラだけど、共通するのは自由で既存のレールに縛られない生き方をしていること。たとえば春は畑で収穫し、夏は山に登り、冬は暖かい島に渡る。気の赴くまま旅するように暮らす。ひとつの場所に縛られ、心を擦り減らしながら働く以外の選択肢をもっていなかった私にとって、その生き方は新鮮で、目の前の靄がすっと晴れていくような感覚を覚えた。あのときみんなに出会えたことは、わたしの人生に必要なことだったのだといまでも思う。 山は不便かもしれない。それでも寝て食べて働いて笑って̶̶。シンプルな営みのなかで黒部の大自然や自分自身と対話し、生きることの本質に迫る山の生活は、じつは豊かさにあふれていると思う。心と体を健やかに、そして人生観も変えてくれたかけがえのない日々。いつかまたここで暮らしたい。そう願わずにはいられない魅力が黒部にはあるのだ。 **********。 ▼PEAKS最新号のご購入はAmazonをチェック。 編集◉PEAKS編集部/文・写真◉平野美紀子 Text & Photo by Mikiko Hirano
PEAKS編集部