【渋沢栄一のひ孫が提言】私たちが暮らしに不安を感じる2つの理由、問題解決に必要なことは?
その不安の根本には、「地に足のついた暮らしを送っていない」ことがあると私は思います。地に足がついていない、というのは、具体的には、生きることに直結する衣食住を自分で調達できない、自分の食べるものや身につけるものがどこでどのように作られたのかわからない、お金で買うしかない、という状態のことです。 ● 地に足のついた暮らしを 日本人はすっかり忘れてしまった 現在の私たちの暮らしは、経済に大きく依存しています。お金を持っていなければ生活していけないと多くの人が思っています。 しかし、昔は日本人のほとんどがお百姓(農民ではなく)でした。 百姓とは、生きることすべてを自分で賄うことができる人、百(すべて)の仕事ができる人を指します。田畑を耕し、家畜を育て、山で燃料や食料を採取し、家も自分たちで建て……と、生活のほとんどすべてを同じ村の人々と協力しながら、自分で賄っていました。そのぶん手間がかかり、経済的な稼ぎは少ないですが、自給をベースとした生活なので、金銭は多くは要りません。自分たちのできる範囲で生きていくという、地に足のついた暮らしです。 日本人が長いこと続けてきた地に足のついた暮らしを、私たちはこの60年あまりですっかり忘れてしまい、一方で不安を大きく募らせているのです。
私たちが日々の暮らしに不安を感じている、そのもう1つの根源的な理由は、そもそも経済が成り立っている土台である「地球」が有限だということに多くの人が気づいたことにあるのではないでしょうか。 地球が宇宙に浮いた1つの星であり、私たち人類がその中で暮らしていることは、何百年も前からわかっていたことです。しかし、私たちはそこから目を逸らし、地球が生み出す資源を過剰に使うようになりました。 その最もわかりやすい例が、石油や石炭、天然ガスといった化石燃料です。化石燃料を使うことで、車を走らせ、飛行機を飛ばせるようになりました。プラスティックや繊維、スマホやパソコンの原料としても使われており、まさに現代の暮らしは化石燃料に依存しています。しかし、その化石燃料の限界が次第に見えてきました。同様に、食物や大地や水の有限性もわかってきました。 ● 人類が消費している資源の量は 「成長量」にしておよそ地球3個分? 1960年代以降の暮らしの変化は、地球環境にも劇的に影響を与えるようになりました。 ここで改めて、地球の現状を確認してみましょう。 まず、私たち人類が地球にどれだけ負担をかけているのか。ここに、地球上の自然の成長量のうちどれだけ人間が使っているかを表した「エコロジカル・フットプリント」というグラフがあります(図1)。