<私の恩人>テンダラー浜本広晃、たけしさんの言葉に欲深い自分を思い知った
先月22日、米ロサンゼルスで全編英語の単独ライブを成功させ、話題を呼んだ漫才コンビ「テンダラー」。今年で結成20年を迎えましたが、ロサンゼルス公演の勢いそのままに、初の全国ツアー「テンダラー JAPAN TOUR」(2015年1月26日、大阪・なんばグランド花月公演からスタート、全国9ヵ所)も開催します。代名詞とも言える“必殺仕事人”のネタでも、キレキレの動きと音楽を組み合わせたボケを見せる浜本広晃さん(40)。恩人に挙げたのは、ブレイクのきっかけとなったフジテレビ系「THE MANZAI」の最高顧問・ビートたけしさんの名前でした。
もう20年ですもんね。ずっと、大阪で漫才をやってきました。 微妙なもんで、この20年、仕事がなかったわけではないんです。お笑いだけでちゃんと食べられるし、劇場出番が途切れたこともない。ただ、その先というか、次というか、それがない。 劇場でお客さんは笑ってくださる。ただ、それがメディア的な仕事だとか、そういったところにどんどん結びついていくかというと、そうではない。お客さんの笑い声という評価と、その“次”がない現実。「自分たちがやってることは、合ってるのか、間違ってるのか」。常に、この疑問と向き合う日々でした。 それが、今から4年ほど前ですかね…。さすがに、あまりにも先が見えてこない。不安は大きくなってくる。そうなると、コンビ仲もギクシャクしてくる。コンビ解散の話になったんです。その時に、止めてくれたのが先輩の土肥ポン太さんでした。「あんなオモロイ漫才をするお前らが、なんで解散せなアカンねん!!お前は『テンダラー』を甘く見すぎや。お前らはスゴイんやぞ!!」と言ってくれたんです。頭をぶんなぐられたような衝撃を受けました。 それで、もう一回頑張ろうとなって、なんばグランド花月でイベントをやったら満杯になった。さらに、今一度頑張ろうとなった時に始まったのが「THE MANZAI」やったんです。だから、ポン太さんがいなかったら、そこで「テンダラー」は終わっていたと思います。間違いなく、恩人です。ただ、記者さんから「恩人には、できれば大きなお名前を…」というお話もあったので、ポン太さんの話はこの辺でバッサリ打ち切りまして、本編のたけしさんのお話をしたいと思います(笑)。 いやいや(笑)、純然たる事実として、ポン太さんに救っていただいて、いざ臨むことになった「THE MANZAI」。そこでやるネタは最初から決めてました。それが“必殺仕事人”のネタやったんです。 実はその時点で“仕事人”のネタができて、もう6年くらい経ってました。ただ、幸か不幸か、イベントでしっかりとウケてても外部の人の目には触れてませんから(笑)、鮮度があったんですかね、決勝まで導いてくれました。 決勝に行った時点で、今までにはなかった評価をいただいたわけですから、もちろんうれしかった。ただ、決勝から1週間くらい経った頃ですかね、仕事でテレビ朝日にいた時でした。廊下を歩いてたら、前からたけしさんがスタッフさんと10人くらいで来られたんです。こちらは邪魔にならないように廊下の隅っこで小さくなって頭を下げてたら、通り過ぎた一団の歩みが止まった気がしたんです。 「アレッ?」と思って頭を上げると、たけしさんがこちらに向かって「この前、ホントにおもしろかったよなぁ。あれ以来、ハマっちゃってさぁ。今度、オイラの番組で、もう一回、あのネタやってくんない?」と言われたんです。それで出していただいたのが「北野演芸館~たけしが本気で選んだ芸人大集結SP~」(TBS系)だったんですけど、あの日、廊下でいただいた言葉は、それは、それは、うれしかったです。