<世界2位のマンガ消費国・フランス>ONE PIECE、NARUTO…日本の作品やキャラクターが日常生活に浸透しているワケ
日本漫画のフランス上陸は1960年代末
そのフランスの漫画読者の特徴として、ファズロ氏は「年齢層の広さ」を挙げる。 「日本の漫画がフランスに初めて輸入されたのは1960年代末。その後90年代に飛躍的に広がったので、40代~50代は子どもの頃から漫画に親しんでいます。親子で同じ作品を読んでいる家族は、今では珍しくなくなりました」 中高生の子がいる筆者のまわりでも、父親が読んだ漫画を息子に勧めて分かち合っている家族がいる。昨年公開の映画版「THE FIRST SLAM DUNK」を観に行った際、上映ホールでは親子連れの観客も多かった。 フランスのもう一つの特徴は、武道や格闘技のファンが多く、それが漫画の愛好者層と重なっている点だ。その背景には、60年代に翻訳された作品群がある。 「フランスで公開された最初期の日本漫画作品は、武士たちの物語でした。”BUDO”という名の武道雑誌に掲載され、中には平田弘史氏の作品もありました」 その後70年代末から80年代初頭には、スイス在住の日本人が日本漫画を仏語訳して漫画専門誌を刊行。手塚治虫、さいとうたかおなど大家の漫画を伝え、サブカルチャー的に一部の読者を掴んだが、大きな普及には至らなかった。 「ですがこの頃、フランスでの人気となる漫画の特徴を方向づける作品が翻訳出版されています。まず、石ノ森章太郎氏の『北風は黒馬の嘶き』(佐武と市捕物控シリーズ)のような、オリエンタリズムに響く武士の物語。そして中沢啓治氏の『はだしのゲン』に代表される、史実に基づいた物語です」(ファズロ氏) そして80年代末から90年代の前半にかけて、日本の漫画が爆発的に読者を広げる時代がやってくる。きっかけはある民放のテレビ番組だった。
普及のカギは「ドラゴンボール」と「AKIRA」
その番組とは、民放TF1局の「クラブ・ドロテ」。1987年から97年まで、登校前の朝や放課後、学校の授業のない水曜日や週末にいくつもの枠を持った、ティーンエイジャー向けのカルチャー番組だ。 若いMCがトークや寸劇で間を繋ぎながら、シットコム(シチュエーションコメディ)やアニメなどのコンテンツを放送するもので、黄金期には朝から夕方まで8時間ぶっ通しの枠もあった。そこで東映アニメーション制作のアニメ作品が多数放送され、人気を博したのだ。 この「クラブ・ドロテ」が一世代を作るほどに決定的だったと、まさにその世代にあたるファズロ氏は振り返る。 「『ドラゴンボール』『北斗の拳』『聖闘士星矢』『うる星やつら』『シティハンター』などの作品が絶大な人気を誇りました。そこで夢中になった子どもたちが、翻訳された原作漫画を読むようになります。そこで放映されたアニメが原作から大きく改変されていたと知り、漫画の方にハマっていく人が続出したのです」 当時フランスの子ども向けのエンタメ作品では、暴力描写はタブーとされていた。「クラブ・ドロテ」で日本のアニメが放映される際にも、流血や暴力、暴言のシーンはあらかじめカットしたり、セリフをよりマイルドにしたりする改変を施した。それでもなお格闘もののアニメは論争を呼び、親たちが視聴を禁止する家庭もあった。 「ですが私たちの世代が日本のアニメ・漫画に惹かれたのは、まさにその刺激だったのです。力強い絵、息もつかせぬスピード感、攻撃的な登場人物の持つ情感……。漫画が備える挑発的な感性は、フランスに生まれ育った私たちの中にも確かにありました。その共感を与えるのが、遠く離れた国で作られた物語であることに、さらに強く惹かれたのです」