「カラマーゾフの兄弟」が東大生に人気が高い背景。現代人も考えさせられる、作品のメッセージ
この考え方に対して、アレクセイは「神はいる」と信じています。そしてイヴァンは「神はいない」と言っています。とはいえ、イヴァンはそう言いつつも、自分のその言葉が本当なのかどうか、自信を持てていません。 父親のように「神様なんていないんだ」と楽観的になれるのであればもっと楽に生きられただろうし、アレクセイのように「神様はいる」と考えられるのであれば正しく生きようと思える。でも、彼はその間でずっと、葛藤しているのです。
イヴァンは、矛盾に満ちた人物です。「神様なんていないのだから、自分はどうあってもいいんだ」と口にしておきながら、「それは本心ではないだろう」と言われると動揺します。 最後の裁判の場面で、本当はドミートリイのことが嫌いで、恋敵だから死んでほしいと思っているけれど、それでも事件の真相を明らかにしなければならないと法廷に向かいます。そこで彼は発狂したわけですが、それはきっと、「何が正しくて、何が間違っているんだ?」という葛藤を抱えていたからなのではないかと思います。
このイヴァンの葛藤こそが、この物語がわれわれに投げかけているメッセージであり、東大生からも多くの共感を呼んでいる理由だと思います。 科学がまだ進んでおらず、文明がまだ発展していない時期なのであれば、こんな葛藤もなく生きていけた。神様を信じて、その前にひざまずいて生きていればよかった。 でも今や、神様のことを信じられなくなってきてしまった。神様がいるのなら、残虐な事件も非業の死を遂げる人物もいないはず。神が沈黙している以上、この世に神はいない。
最近は、「お天道様は見ている」という言葉も聞かなくなりましたね。神様が近くにいる時代から、どんどん遠ざかっているわけです。それでも、人間は、何かを信じ、何かにすがっていないと生きていけない……。 ■神はいるのか? いないのか? みなさんは、フョードルのように「神はいない」と楽観的に生きますか? それとも、アレクセイのように「神様はいる」と考えて生きますか? おそらくどちらも難しいという人が多いと思います。イヴァンのように、どちらも信じられず、葛藤しながら、生きていかなければならないかもしれません。
それは苦しくて、つらくて、大変な道のりです。この物語は「われわれも、イヴァンの葛藤を抱えながら生きなければならない」という苦しさを教えてくれていると言えます。 でもそんなイヴァンにとって、アレクセイだけは、救いだった。希望の光だった。人は誰かの希望になることもできる。そういう救いの道も同時に示してくれているとも言えるかもしれません。 神なき時代をどのように生きればいいのか、という人類の根源的な問いを浮き彫りにする作品であるという意味で、この「カラマーゾフの兄弟」は本当にいろんなことを考えさせられる作品です。みなさんもぜひ、機会があったら読んでみてください。
西岡 壱誠 :現役東大生・ドラゴン桜2編集担当