16~19世紀の「小氷期」、残酷な寒さは世界をどう変えたのか、飢饉の一方「黄金時代」も
戦争や迫害にも影響、凍った川では祭りや新たな商売も、温暖化の今学べること
16世紀から19世紀まで、北半球は長く続く厳しい寒さに見舞われた。この期間は「小氷期」と呼ばれているが、その原因は何だったのだろうか。また、どのような影響があり、人々は寒さにどう適応したのか。そして、新たな気候変動の時代に入っている現代の私たちは、そこから何を学ぶことができるのだろうか。 ギャラリー:この世の果て? 地獄のような絶景写真12点
小氷期とは何か、その原因は
小氷期は、本物の氷河期とは違う。平均気温はおそらく0.5℃低下しただけで、寒さがずっと続いていたわけでもない。米ジョージタウン大学の環境歴史学准教授であるダゴマール・デグルート氏は、「小さな小氷河期」が繰り返し起こっていた時代だったと説明する。 米航空宇宙局(NASA)の定義によると、小氷期は1550年前後に始まり(一部の研究者はもっと早かったと主張している)、温暖な時期を挟んで寒さのピークが3回、1650年と1770年、1850年に訪れたとされている。 小氷期がなぜ起こったのかはまだ解明されていないが、太陽活動の低下や火山噴火の増加のほかに、ヨーロッパ人による北米先住民の大量虐殺が原因だという説がある。大量虐殺によって人口が減り、耕作されなくなった農地に代わって森林が拡大し、大気中から約70億トンの炭素を吸収したという。 2021年12月15日付けで学術誌「Science Advances」に発表された論文は、逆説的なようだが、1300年代末頃に非常に暖かい海水が熱帯から北に移動したことで、北極圏の氷が北大西洋に流出したことが寒冷化の引き金になったのではないかと推測している。
歴史のいたるところに影響
小氷期の影響は歴史のいたるところに見ることができるが、どこまでがその影響によるものなのかは専門家の間で意見が異なる。 1658年にスウェーデン国王カール10世グスタフの軍隊が、凍り付いた海峡を渡ってデンマークのフュン島に侵攻したことや、1795年にフランス軍が海氷にはまって動けなくなったオランダ艦隊を捕獲したことなどは、確かに寒冷化がなければ起こりえなかっただろう。馬に乗った軍隊が艦隊を捕らえたのは、後にも先にもこれきりだ。 農作物の不作が続くことによる恐れと不安から、ヨーロッパでは魔女裁判やユダヤ人への迫害が急増した。 さらに中国でも、食料不足によって農民の反乱が増えたことが明王朝崩壊の一因になったという見方がある。グリーンランドでスカンディナビア人の植民地が消滅したのも、気温低下に伴って海と陸の両方で氷が増加したためだろうと推測されている。 ストラディバリウスのバイオリンが持つ独特の音は、寒さのためにアントニオ・ストラディバリが使用した木材の密度が高くなっていたためであるという説さえある。 歴史的な出来事だけでなく、小氷期はそれ以上に普通の農民や都市に住む貧困者を苦しめた。人類学者のブライアン・フェイガン氏は、自著『歴史を変えた気候大変動:中世ヨーロッパを襲った小氷河期』(河出書房新社)のなかで、「アルプスの人々は、木の実の殻をひいたものを大麦とオーツ麦の粉に混ぜ合わせてパンを焼いていた」と書いている。 英ロンドン大学ゴールドスミス・カレッジのアリエル・ヘッサヨン氏によると、17世紀と18世紀初めに食料危機が深刻化し、1600年代末にはいくつかのヨーロッパの国で大飢饉が起こったという。あまりの厳しさに、1684年の冬、イングランド国王チャールズ2世は国民を助けるための寄付を募り、自らもそれに貢献した。おかげでイングランドは、近隣諸国よりはましな冬を乗り切ることができた。 それでも、「全国で人が次々に死んでいった。動物、鳥、魚も同様だ。地面が硬くて穴が掘れず、埋葬もできなかった。樹木は割れ、植物は枯れた」と、ヘッサヨン氏はブログに書いている。