大阪商人は「利益の追求は徳」と考えた 令和の時代に脚光
「利」という新しい徳目
懐徳堂ではどういうことを教えていたんですか。 杉本氏:けっこう「ごった煮」です。中国の孔子が創始した儒学は江戸幕府によって奨励されていたのでもちろん教えますが、政治、経済、文学、天文学など、幅広い分野を扱っていました。 この懐徳堂がなぜ日本固有の徳の話とつながるかというと、4代目の学主である中井竹山という人が「利」を徳として議論しているんですよ。利、つまり利益は、西洋哲学では徳目とみなされないし、儒学ではむしろ「悪徳」に数えられてきました。 現代のビジネス倫理学ではどうなんですか。 杉本氏:利益を追求することが道徳だという発想は、ほとんどありません。ビジネス倫理学では、基本的には「道徳と利益はどちらを優先すべきか」というような問いが立てられます。 利が徳というのは、どういうことなんでしょうか。 杉本氏:そこは、これからの研究で考えていきたい問題です。懐徳堂では儒学を教えているから、当然、仁・義・礼・智が大事な徳なんですね。でも中井竹山は、そこに「利」を加えた。おそらく、江戸時代の町人文化という共同体に見いだされる徳目として「利」があって、それが懐徳堂で追加されたと考えられます。 もちろん竹山も、利益を貪(むさぼ)ることは悪徳だとしています。彼が強調する利はあくまで「義に適(かな)った利」のことです。 ●ビジネスの現場から打ち出せる思想がある 利を徳とするというのは、儒学の正統的な解釈からはきっと出てこない発想ですよね。 杉本氏:そうですね。懐徳堂は、朱子学だけでなく、陽明学や古義学など、さまざまな学問のいいとこ取りをしていたので、これまで「ぬえ学問」と揶揄(やゆ)され、評価もそんなに高いとは言えなかったんです。きっと専門家から見れば、懐徳堂の論語の読み方には批判が出てくるでしょう。 でも、専門に縛られない町人的な発想だからこそ面白い考え方が出てくることだって、当然あるわけです。その1つが利を徳とする考え方ですよね。 先ほどお聞きした日本企業の経営理念に表れている徳の研究もそうでしたが、懐徳堂の徳についても、日本のビジネス倫理学を問い直すようなお話でした。 杉本氏:2つの話はつながっているわけです。私たち研究者は、日本固有の徳を見逃している可能性があるかもしれない。その1つとして、懐徳堂で議論されていたような利がある、ということです。 加えて、今回の話はもう1つ重要な示唆があると思うんですよ。最近、経営者や企業人が集まるセミナーで講義する機会があったんですが、そこで懐徳堂の例を出しながら、「ビジネスの現場から打ち出せる思想がきっとある」という話をしたんです。 懐徳堂の学問が低く見られたように、研究の世界にいると、どうしても専門外の人の議論を軽視しがちです。でも企業を経営している人、企業の中で働いている人は、つねにビジネス倫理の真っただ中にいるわけです。 現場で絶えず道徳的な判断、倫理的な判断をしているわけですからね。 杉本氏:そういったビジネスパーソンだからこそ打ち出せる思想ってあるはずだし、現にもう出ているのかもしれません。ビジネスの現場の主張や思想に耳を傾けるのも、これからのビジネス倫理学の大事なポイントになると私は思っています。
斎藤 哲也