理想の未来は「自然林のよう」。妥当な競争と自分らしさ生かす調和的社会
憎しみ合ったり優越感を感じたりする競争は不要
うれしいですねえ。美しい森のような都市、江戸。そして、そこに住む、精神性の高い日本人。すばらしいと思いませんか。 平和、行き渡った満足感、豊かさ、完璧な秩序、といわれると理想化しすぎではないかとも思いますが、もし江戸時代はそれに近かったのだとすると、なんだか羨ましい気がします。現代社会では、日本の幸福度はあまり高くないと言われていますから、もっと幸せな社会にしたいものです。 幸せな社会とは、幸せの4つの因子(拙著『幸せのメカニズム』参照)から明らかなように、「多様なみんながそれぞれの強みを生かしてワクワクいきいきしていて、そんなみんなが信頼し合い、前向きに、自分らしく生きている」社会です。 江戸時代のように、緑に満ちているといいですね。緑に囲まれていると幸福度が高い、という研究結果もあります。争いがなく、犯罪も少なく、政治的に安定していて、過度な競争社会ではなくみんなが信頼し合っている社会。 こんなことをいうと、競争をせずにみんながニコニコと信頼し合っている社会なんて、活気がなくて不気味なのではないか、という人がいます。確かに、催眠術にかけられたかのようにみんなに覇気がない社会だとしたら、それは幸せな社会ではないでしょう。 私のイメージは、1億人の人がいたら、1億通りのやりがいがあって、みんながそれをやっている状態です。もちろん全世界であれば、75億通り。それは、幸せの四つの因子(やってみよう、なんとかなる、ありのままに、ありがとう)が満たされている社会です。活気や覇気がないどころか、現在以上に、みんなが生き生きしている社会です。 競争がないと覇気がないはずだという人もいます。私が言いたいのは、人々が相手を蹴落とそうとして戦って、憎しみ合ったり優越感を感じたりするような競争は不要で、相互に尊敬し合いながら切磋琢磨する、スポーツマンシップのような競争ならば大歓迎、という世界です。 ただし、レッドオーシャン(競争の激しい既存市場)ではなく、ブルーオーシャン(新規開拓市場)戦略が中心となるような競争の方がいいとは思います。レッドオーシャン市場で、各社が同じような製品・サービスによって争っている状況では、各社の製品・サービスに個性や独創性を出しにくい状態なので、低価格化が進みがちです。すると、利幅が少ない過酷な争いになったり、過剰労働になったりして、労働者は疲弊しがちです。 一方、何か新しい製品・サービスを出したり、個性・独創性を発揮したユニークな製品を出すことができれば、誰も蹴落とすことなく、つまり過当な競争をすることなく、自分らしさを発揮することができます。自分らしさは働く人の幸福度を高めます。 明らかに、レッドオーシャン型競争よりも、ブルーオーシャン型競争の方が、幸せの条件に合致しています。他人の動向を気にせず、自分らしく、やってみよう、というわけですから。