「借金で首が回らないのは幸福」ダイヤ王誕生への道 セシル・ローズ(上)
「天才か?悪人か?」英国人のダイヤモンド王、セシル・ローズの場合はどうか、と問われたら多くの人が悪人と答えるかもしれません。南アフリカでダイヤモンド鉱山を掘り当て、経済力を武器に政界までのし上がったローズは、熱心な帝国主義者であり、人種差別者でもありました。やがては南アフリカの政財界の実権を握り、「アフリカのナポレオン」を言わしめました。 悪人としか思えない数々の思想と行動を示したローズには果たして投資家の美学はあったのでしょうか? 3回連載で、市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。
「非常時には非常に大きなもうけがあるはずだ」のことわざを信じて、南アフリカへ
1870(明治3)年ころの欧州は地震、疫病、戦乱が絶え間なく続き、欧州大陸は英国を含め今にも滅亡するのではないか、といった暗たんとした状況下にあった。一方で南アフリカはダイヤモンドの発見を機に黄金の国と喧伝され始めていた。 「南アフリカに黄金の山があり、金剛石(ダイヤモンド)の河あり、白金の田あり。しかしボーア人、すなわち現地人は採掘することを知らない。同時に『黄金の光輝くトランスバール』(ボーア人が南アに建てた国)という流行語が盛んになった。しかし、なんびともこれを疑い、不可解な謎として南アに遠征しようとする勇気を出す者はいなかった」(H・ホストー著『大地震大火から世界的大相場へ』増田悟郎訳) 昔から英国では「非常時には非常に大きなもうけがあるはずだ」と言い伝えがあり、ローズはこのことわざを実践しようと南アフリカに渡った。以来、48歳で他界するまで獅子奮迅の活躍が始まるが、その足跡を巡っては毀誉褒貶が著しい。たとえばローズ研究の最重要文献『創設者』の著者ロバート・ロトバーグは「ローズは天才として、また悪漢として死んだ」とし、以下のように評している。 「一部の人々にとっては今なお許し難い『極悪人』であり続ける。その一方で、彼が常に夢を追い求める理想家であったこともまた事実であり…」(三輪裕範著『ローズ奨学生』)