Jリーグ・足立修フットボールダイレクター インタビュー(1)広島の強さ支える伝統方針、スキッベ監督招へいの理由
昨年まで22年間にわたり広島のスカウト、強化部長を歴任してきたJリーグ・フットボール本部の足立修フットボールダイレクター(52)が、本紙インタビューに応じた。今季最後まで優勝争いを演じた広島での強化における伝統的方針や、ミヒャエル・スキッベ監督(59)を招へいした理由、さらにJリーグで目指す若手世代強化への取り組みなどを聞いた。 惜しくも優勝には届かなかったが、今季もその強さを示した広島。その強化の根幹を長年にわたって担ってきたのが足立氏だ。その強さの秘密はどこにあるのか…。 「資金的に裕福なクラブではないので、地方クラブの生き方というところは創設当時から確立している」と足立氏。広島では日本サッカーでGM職の先駆者となった今西和男氏の方針が脈々と受け継がれ「前身のマツダサッカークラブからの流れを、われわれも受け継いできた」という。 その基盤は「育成」。Jリーグ発足当初、各クラブが外国人選手獲得などに資金を使う中で「広島はユースの寮を作った。そこに最初の投資をしたのが今の広島の基盤」という部分にも確固たる方向性が示される。 スカウトの方針も「一番は広島(出身)の選手が優先。次が中国地方、西日本。いなければ全国という順番」と徹底された。資金力は無いが「その中で戦えるのは、やはり地元の選手。最後はそれ(思い)を持つ人間が集まる」と力説する。 今季はFW大橋、MF川村らがシーズン途中に海外移籍も、MF川辺の海外からの復帰やMF東らの成長もあった。2度のJ2降格の苦境から立ち上がり、困難と思われた“街中スタジアム”も実現させた力の根源が、そこに集約されている。 12年の初優勝から黄金期を迎えるも、17年には降格圏まで勝ち点1差で残留と苦しい時もあった。「この時に実は新スタジアムの話も飛びそうになった。『こんな弱いチームにスタジアムが必要か?』と、非常に私も(批判を)受けました」と苦笑いを浮かべる。 それでも「選手たちが広島のために、スタジアムのためにという思いで駆け上がってきた。われわれも1つになって絶対にJ1に残り続ける、そしてスタジアムができる頃にはもう一度優勝争いができるチームになろうとね」。新スタジアム元年、思いの一端は結実したと言えるだろう。 特徴は歴代監督にも現れる。バクスター、ヤンセン、トムソン-。J発足から欧州出身監督が指揮を執り、選手育成に加えて指導者の育成も進めた。その後は小野剛監督により若手が積極起用され、ペトロビッチ監督が戦術を高め、森保一監督で仕上げてJ1を3度制覇と開花の時を迎えた。 チーム力が下降すると「もう一度、10年ベースでチーム作りを考えた」とパスサッカーから転換して城福監督でプレッシングサッカーのベースを作る。そして22年にスキッベ監督を招へいする。 「あの決断は本当に賭けでした。ある程度いけるというのはあったが、ここまで日本にフィットするかは分からなかった」とした上で「もう1つ(質を)上げるにはスキッベしかなかった。ハイプレスサッカーは今や世界のトレンドなので」と招へいの理由を語る。 ドルトムントやドイツ代表でユース世代を率いたスキッベは、戦術の昇華と育成の両輪が望める人材だった。「広島は勝つだけじゃなく若い選手を育成してもらわないといけない。プラス、横(コーチ)には日本人スタッフを置くことも条件だった」と明かした。 今がゴールではなく、常に未来を見据える信念の下、広島の新たな黄金時代の手応えを得て次の担い手へと引き継いだ足立氏。そして今、ステージを替えて新たな挑戦へと挑んでいる。