夏の甲子園で輝いた…プロ入りしなかった天才6人
吉永健太朗
出身校:日大三(西東京) 投打:右投右打 生年月日:1993年10月13日 甲子園優勝投手としてプロからも大きな注目を集めた吉永健太朗。ただ、結果的にプロの世界へ進むことはなかった。 中学時代からピッチャーで才能を発揮した吉永は、日大三に入学してシンカーを習得すると、2年秋から背番号「1」を背負う存在になった。 甲子園では通算9勝を挙げ、2011年夏は高山俊(現:阪神)や横尾俊建(現:楽天)らとともに全国制覇を成し遂げた。 しかし、吉永自身はプロ志望届を出さず、早稲田大学に進学。1年春からタイトルを獲得する活躍を見せたが、その後は故障に苦しみ、本来のピッチングが影を潜めてしまった。 大学卒業後は社会人の強豪・JR東日本に進んだものの、4年間で現役引退を決断した。
大西健斗
出身校:北海(南北海道) 投打:右投右打 生年月日:1998年11月17日 北海のエースとして奮闘し、夏の甲子園で準優勝を果たした大西健斗。その勇姿を記憶している高校野球ファンも多いはずだ。 北海で1年秋からベンチ入りした大西は、2年夏に甲子園の土を踏み、鹿児島実業(鹿児島)戦に登板したものの、1死も取れずに降板した。大西自身はその経験から「甲子園は怖い場所」という印象が残ってしまったという。 リベンジを誓った3年夏の甲子園、大西の好投もあってチームは勝ち進み、勢いのままに決勝戦まで駒を進めた。 相手は今井達也(現:西武)らを擁する作新学院(栃木)で、連投の疲労もあった大西は本来の投球ができずノックアウト。それでも、準優勝という結果は間違いなく大西が導いたものだった。 高校卒業後は、慶応大学に進学。ただ、故障に悩まされたこともあって大学4年間で神宮のマウンドに立つことはなかった。
松橋拓也
出身校:駒大苫小牧(南北海道) 投打:右投右打 生年月日:1987年7月26日 2004年、2005年に夏の甲子園連覇を成し遂げた駒大苫小牧。田中将大(現:楽天)とともに活躍し、チームを支えたのが松橋拓也だった。 高校2年夏、東海大甲府(山梨)との試合で甲子園初登板を果たした松橋。3イニングを投げて3失点という苦しいピッチングになったが、2年生の段階で最速147km/hを投じたように、すでに能力の高さを見せつけていた。 最後の夏はエースナンバーを背負い、甲子園に帰ってきた松橋。エースの役割をしっかりとこなし、チームを牽引した。 京都外大西(京都)との決勝戦は5回途中まで投げて1失点というピッチング。胴上げ投手は田中だったが、試合を作った松橋のピッチングも見事だった。 卒業後は明治大学で野球を続けたものの、公式戦での登板は果たせなかった。それでも、57年ぶりとなる夏の甲子園連覇の原動力として、色褪せない活躍を見せたことは間違いない。