代理人・武藤敬司が語る、猪木VSムタ戦“毒霧”秘話「猪木さん、流血したらヤバい体調だった」
猪木VSムタ戦秘話
2月の北海道である。想像しただけで極寒であることが伝わってくる。 「溺れ死ぬかと思うよ。だけど猪木さんからすればなんのことはない。だって猪木さん、その当時から糖尿病だったから、(治療の一環で)毎日ホテルで氷風呂に入っているんだよ。だから、俺ら全員がそれに付き合わされてるっていうかさ(苦笑)。いや、水に入ったのは全員じゃなかったけど、若手は10人とかそのくらい水のなかに入ったよ」 そんな話しているうちに、徐々に武藤の記憶の扉が開いてきた。 「俺が米国のテキサスで働いてる時に、三銃士で新日本のタッグリーグ(イリミネーションタッグリーグ?)だったかに出てくれって話があったんだけど、俺は断ったの。その後すぐ、WCWからスカウトされたんだよ。だから新日本を辞めてWCWと契約したいと思ってさ。坂口征二さんに連絡してそう伝えたら、『お前は新日本の人間だろ』って言われたけど、契約も切れていたしさ。そしたら、ちょうど坂口さんの近くに猪木さんがいたらしくて。猪木さんに電話を変わったから、同じことを伝えたら、その時はガチャッてそのまま切られたよ(苦笑)。今、思い出した」 さて、猪木と武藤の絡みといえば、最も印象深いのはグレート・ムタ戦(1994年5月1日、福岡ドーム)になるだろう。 猪木VSムタに関しては、最近、ムタの代理人・武藤が「試合の勝ち負けよりもムタの毒霧を猪木さんに吹きかけてやりたかった」旨のコメントを公にしていたことがあった。その話を武藤にぶつけると、「そうそうそう。だって芸術じゃない。(毒霧の)緑と(鮮血の)赤って。猪木さん、その当時から糖尿がヒドかったから流血したらヤバい体調だったんだよ。だから強引にやったらしい」とのこと。 しかもムタ戦を振り返り、「本当はムタはA猪木との動きを、ミュージカルじゃないけど、スポットライトだけで追いかけてほしかったそう。実際、そういう場面も2人は作ったけど、ドーム全体が明るくてそこまでうまくできなかったんだよね。結果だけど、淡い色の光に見えてよかったけどな」と話した。 また、最近の話になると、武藤がプロデュースしていた「プロレスリングマスターズ」という大会に話が及んだが、結果的に武藤が猪木をこの大会に呼ぼうと決めることになるのは、話の様子から、おそらく2019年頃、ある人から聞いた「猪木はガンか何かで長いことないぞ」という話が発端だった。