中日を追われた2人が巨人の救世主
台風接近中の東京ドーム。12日の広島戦で、赤ヘルの連勝を止め、エース、マエケンを叩いたのは、中日を追われた2人だった。 1点を追う7回。一死から5番に入っている井端が、まずレフト前ヒットで出塁した。二回に本塁突入した際のクロスプレーで右膝を痛めていたが「塁にさえ出れば堂上がなんとかしてくれると思った」と、気力で打った。続くは堂上。カウント1ボール、2ストライクと追い込まれたが、「なんとかしようという気持ち。食らいついてやるぞ」と、ボールをひきつけて逆方向を意識して、コンパクトにバットを振りぬく。パワーが堂上の売りである。打球が左中間を転がる。代走・片岡が、一塁から一気に同点ホームを踏んだ。さらに二死一、三塁と、チャンスが広がり、代打・アンダーソンの打席で、マエケンの投球がワンバウンドして、會澤がそれを三塁方向へ大きく弾くと、堂上はすかさず勝ち越しのホームを奪う。結果、元中日コンビで奪った2点が、勝負を決めることになった。 井端は、この日が、40歳の誕生日。「誕生日にいい思い出はなかったが、1打席目にヒットが出て気が楽になった」という。そして「個人的にも、堂上には頑張ってほしいなと思っている」と結んだ。 井端が屈辱的なダウン額を示され、事実上の戦力外通告を受けたのが2年前。GMに就任した落合博満氏が大鉈をふるったオフの粛清の象徴的な犠牲者となった。だが、巨人に拾われ「ショート以外はやらない」と、決めていたプライドもかなぐりすてて、二塁でも一塁でも三塁でもやった。チームの勝利貢献のために与えられた役割に徹した。それが井端のプロフェッショナルな生き方だった。 堂上も、昨年オフに中日を追われた。 左の代打としては、チームに小笠原がいて、若手を育てたいチーム方針からすれば、守備力に不安があって9年間かけてブレイクできなかった堂上に居場所は残っていなかった。父の照氏は、先発、中継ぎでフル回転して、通算35勝の元中日投手、後に寮長も務めた。2006年の中日のドラフト1位だった弟の直倫も、今なお伸び悩んでいるが、生涯を中日に捧げた一家だった。 だが、堂上兄は「試合に出られる場所」を求めていた。その潜在能力を買われて巨人に育成契約で拾われた。井端は、2年前の自らの姿を堂上に重ねていたのかもしれない。堂上は、背番号「014」の育成契約からキャンプで猛烈にアピール。支配下登録を勝ち取ったが、右手の親指を骨折して開幕に出遅れた。だが、原監督は、そのひたむきな努力と野球に全力で対峙する姿勢を見ていた。