全盲ながら子供3人を育てた両親 毎日の苦難と工夫、温かかった周囲のサポート
友佳理さんが幼少期に感じたつらさ
長女・友佳理さんは両親と暮らすなかで、物事を正確に伝える力は視覚障害者に共通する特長だと気づいた。 「母は何かを説明するときに、誰が聞いても正確に理解できる言い方をします。例えば、背中がかゆかったら『背中をスマホの画面だと思って、5番のところを掻いて』と言う。何事も具体的でわかりやすく表現する能力は、両親に鍛えられた気がします」 ただ、幼いころにつらさを感じたことは少なくない。目が見えない両親のために、誰よりも早く数字や文字を覚えたこと。保育園の親子イベントで切り絵をしたとき、何もできない母が恥ずかしくて泣いてしまったこと。小学校に入学して教科書を配られたとき、みんなは親に名前を書いてもらうのに、一人だけ自分で記名しなければならなかったこと──。友佳理さんは“親を支える良い子”という立場に葛藤し、次第に反発するようになった。中学に入ると学校を休みがちになり、夜遊びや家出を繰り返した。 両親はそんな娘を辛抱強く信じ続けたという。「子どもは子どもなりに自分で考え、育っていくもの」という考えがあったからだ。
「教育理念とか、そんな大層なものはないです。でも、最近知ったアドラー心理学の本に、子育てで大事なのは『手伝わない、手を出さない、できるチャンスを奪わないこと』という趣旨の記述があって。それって、まさに我が家の子育てそのものだなと。子どもたちが自分なりに考え、行きたいと思った道を歩んで幸せになってくれれば、それでいいんです」 友佳理さんは大学卒業後、英語を学ぶためフィリピンに留学し、その後は同国や南アフリカの企業で働いた。両親は、海外を目指した友佳理さんに、何も言わず貯金から120万円を工面してくれた。 好子さんは言う。 「やりたいと思ったときに行動しなければ、チャンスは逃げてしまう。娘たちがやりたいと言ったことは、多少無理をしてでもかなえてあげようと思っていました」
その考えは、宮城夫妻の生き方そのものでもある。子育てが落ち着き、40歳を過ぎてからマラソンを始めた好子さんは、今やフルマラソンを完走するベテランランナーとなった。今年からは全盲の暮らしを伝えるYouTubeチャンネルも始めた。夫の正さんも3年ほど前からベンチプレスを始め、大会で好成績を収めている。