全盲ながら子供3人を育てた両親 毎日の苦難と工夫、温かかった周囲のサポート
苦労も多かった子育て
埼玉県坂戸市の公団住宅で新生活を始めて間もなく、長女の友佳理さんが誕生した。その1年5カ月後に次女の多喜さんが生まれると、生活は多忙を極めた。当時、病院のマッサージ師だった正さんは早朝から出かけてしまうため、育児は好子さん一人。粉ミルクは計量ができず、完全母乳。当時高価だった紙おむつは使えず、毎日60枚近い布おむつの洗濯に追われた。 「おむつ交換のタイミングは、においでわかる。お湯で固く絞った布おむつでお尻を拭いていました。多少の拭き損ないは気にしませんでしたね。洗濯も汚れが完全に落ちたかどうかは確かめられないので、においがしなくなればよし、と割り切っていました」
育児に慣れないころは、床に寝ている娘を踏んでしまいそうになったため、娘たちがいる部屋では足先で床を探るように歩くようになった。 「いまだに忘れられないのが、娘がハイハイで付いてきていることに気づかず、お風呂場のドアで娘の手を挟んでしまったこと。思い出すと胸がギュッと苦しくなります。以来、家の中のドアはなるべく開けたままにして、閉めるときは大きな声で『閉めるよ!』と声かけするのが習慣になりました」 料理では、揚げ物の油に引火してあわや火事になりかけたこともあったという。 絶え間ない授乳、おむつ交換、料理。その合間を縫って買い物にも行かなければいけない。背中に長女をおんぶし、前に次女を抱き、白杖をつきながら片手に買い物袋を提げて歩く好子さんの姿は、近所の人たちの目に留まるようになった。
「地域の人たちにはたくさん助けてもらいました。八百屋さんに行くと、じゃがいものカゴを蹴飛ばしちゃったりするんだけど、そのうち『今日は何が欲しいんだい?』なんて声をかけてくれて。品物をカゴに入れてお会計まで手伝ってくれたりして、ありがたかったですね」 一方、マッサージ師として働いていた正さんは、月の手取りが20万円に届かなかったため、次女が生まれた後、独立を決意。埼玉県ふじみ野市に住まいを移し、自宅で鍼灸院を開業した。ところが、完全に裏目だったと正さんが苦笑する。 「お客さんが全く来なかったんです。親からの援助も貯金もなく、経済的に行き詰まってしまって。妻からのプレッシャーもあり、鍼灸院の営業終了後に近くのサウナで夜間のマッサージの仕事も始めました」