信州のソウルフード、発祥の地で「おやき」作りを堪能 昔ながらにいろりで焼く 味・旅・遊
信州で生まれ育った人にとっては何の不思議もないことだが、県外出身者が長野県で最初に驚く食べ物は「おやき」だ。観光名所の売店だけでなく、スーパーにもコンビニにもレギュラー商品として並んでいる。地元の人が食材と一緒に2つ3つと買い物かごに入れていく様子はまぎれもなく家庭の日常食。長野県小川村で昔ながらのおやき作りが体験できると聞き、その源流をたずねた。 【写真】おやきの皮に具材をたっぷりのせて包んでいく 車が1台通れる程度の細道を上っていくと「小川の庄おやき村」がある。竪穴式住居を模した建物に通されると、そこには大きないろりがあり、鉄製の鍋「ほうろく」がかかっていた。ナラの薪をたいた火がほうろくを熱する。ここで作っているのはおやきの原点である「焼きおやき」だ。 店長の大西隆さん(80)は「私が子供の頃はこのあたりは小麦が主食で、おやきは毎日家のいろりで作っていました。焼いているときの香りで今日の具は何かなと楽しみで」と教えてくれた。 コメの栽培難しく 小川村と長野市西部の山間部は「西山地区」と呼ばれ、おやき発祥の地とされる。急峻(きゅうしゅん)な地形のうえ寒冷でコメの栽培が難しく、小麦や蕎麦(そば)を栽培しその粉を使った料理を生み出してきた。そのひとつが、いろりで焼くおやきだった。 小川村の遺跡から縄文時代中期の土器が出土し、雑穀の粉を練って焼いた跡が見つかっている。おやき作りに通じるとして、同店のおやきは「縄文おやき」と名付けられた。 おやき作りを指導してくれたのは、ここで日頃から焼きおやきを作っている大日方文子(おびなたふみこ)さん(79)。小麦粉(中力粉)を水でこねて寝かせた約55グラムの生地をひとつ手に取り、まるく団子にしたあと押し広げて手のひら大の薄い皮にする。そこに野沢菜を炒めた具材を、皮と同量の約55グラム乗せて包んでいく。 「皮を下から支え、具を親指で押し付けながら、縁をちょっとずつすぼめ、皮を引っ張り出して、一括して閉じる…」。大日方さんの言う通りに手を動かしているつもりだが、具材が多いので包むのに勇気すらいる。なんとか皮をつまんで閉じた。2つ目は粒あんのおやき。皮より多い約60グラムの具材を包むと、張り裂けそうなほどだ。 形になったらすぐに、ほうろくで生地の合わせ目から焼く。軽く焦げ目ができたらひっくり返す。両面焼いたらほうろくから降ろし、わたし(鉄製の網)に乗せ、炭火で横面を焼いていく。15分ほど焼いただろうか。皮全体がほどよい焦げ目で覆われパリッとした香ばしいおやきが出来上がった。