「俺は石巻最初で最後のラッパー」地方ミュージシャンの願いとジレンマ
東日本大震災から13日後、石巻で収録された「楽団ひとり & KICK-O-MAN NORTH EAST COMPLEX part. 3.11」(ディレクター:大月壮、プロデューサー:Fragment、映像提供:術ノ穴)
東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市で、2人のローカルミュージシャンが震災後に活動を活発化させている。ラッパーはダンスイベントを仕掛け、レゲエミュージシャンはレゲエバーをオープンした。人口15万人、高齢化率30%。若者が流出しがちな地方都市で「カルチャーを根づかせたい」という共通の思いを抱え、音楽好きの裾野を広げようともがく2人。生まれ故郷で活動を続ける姿を追った。
3.11から13日後、被災した自宅から放ったラップ
マスメディアじゃ届かねえから/叫ばせてくれ、ここが現場だ/夜明けを待つほどに憂いは長く/落とすため息に無念が混じる/ここに残された道は狭い/きれい事だけじゃいきられない/よく理解しろ、被災地の現状/瓦礫でできた市街地の迷路/ひしゃげた線路、崩れた堤防/カメラ持ってる場合じゃねぇぞ 東日本大震災から13日後、津波で押し流された漁船が残る石巻市中心部。まだ停電中だった自宅2階で仲間とスマホのボイスレコーダーに叫んだ。「NORTH EAST COMPLEX part. 3.11」のタイトルでYouTubeにアップされた動画は1万回近く視聴された。 ラッパー楽団ひとり(29)。「石巻最初で最後のラッパー」を自負する。
ピンクのTシャツ、ミラーのサングラス
蛍光ピンクの文字が一面に書かれたTシャツに七色に輝くミラーのサングラス、胸にはチェーンでぶら下げたカセットテープという出で立ちで歩く。4月末、肌寒く小雨がぱらつく中でも「上にいろいろ着るの苦手なんす」。閑散としたグレーの町並みにスプレーで太い横線が引かれていくようだ。 ラッパー歴15年。ずっと石巻界隈に住んでいる。 90年代後半の日本語ラップブームに影響されて中3から詞を書き始めた。高校時代から仙台や石巻でライブに出演したり、自らDJとなってダンスパーティーを主催。ネットで楽曲も売っている。 やがて高校時代からの彼女が妊娠し、22歳で結婚。義理の両親と同居して7歳と3歳の双子の3姉妹を育てる。 ラップで食っていこうという考えは最初からなかった。第一線のラッパーを調べて痛感した。「人生を捧げないとできない。(吉本興業のピン芸コンクール)R-1ぐらんぷりのチャンピオン、ハリウッドザコシショウみたいに、24 年間続けて、ようやく日の目をみるみたいな感じですよ」 フリーター、板前見習い、保険のセールス。職を転々としながら音楽を続けてきた。次に務めた魚屋は、昨年末に仲間と「肝臓に異常をきたす」まで飲んで足を骨折、辞めざるを得なくなった。「金を稼ぐ社会人という意味では自分は全然ダメ」。今は印刷会社の営業マンだ。平日はスーツ姿。撮影したいと頼むと断られた。「この格好のときは『小野寺』なんで勘弁して」 周囲は結婚や就職でラップをやめていく。せっかく「音楽との遊び方」を教えても高校を卒業すると町を出てしまう若者が多い。カルチャーが根付かない徒労感。でも「続けないと俺じゃない。俺が外界とコンタクトを取れる接点は音楽しかない」と活動を続けた。「手作りスタジオでデザイナーも使わずにCD作ってAmazonで売った。石巻でもそこまでできると見せたい」