「俺は石巻最初で最後のラッパー」地方ミュージシャンの願いとジレンマ
震災後に開店したレゲエバー
静まり返った深夜。古ぼけたビルの1階から紫色の光とレゲエが漏れる。狭い店内にはレゲエの象徴、赤・黄・緑のラスタカラーの旗やボブ・マーリーのポスター。大柄にスキンヘッドの男と日焼けした顔の仲間が、酒を片手に旅の準備をしていた。 レゲエバー「Stereograph(ステレオグラフ)」。スキンヘッドの男が店主で、石巻唯一のダンスホール・レゲエのクルー「R Tone」のDJ Bero(42)だ。 店内には物資が積み上げられていた。熊本地震の被災者に届けに行くのだという。
青天の霹靂だった「強制Uターン」
地元・石巻で活動するとは思っていなかった。Uターンは唐突だった。 高校卒業後、仙台の建設会社に就職。クラブでダンスホール・レゲエに触れ、低音に魅せられた。22歳で建設関係の個人事業主として独立した。「レゲエで食って行く気持ちはなかったすね。趣味ではなくて、生き甲斐だし、生活の一部。Life is musicですかね」 転機は33歳のとき。工事現場で作業中に骨折、入院している間に、両親が仙台のアパートを解約してしまう。「家賃もったいないでしょう」。病院のベッドで告げられた。弟2人は公務員。「昭和の堅い家庭」の長男とはいえ青天の霹靂だった。抵抗はしたが、先に石巻へUターンしていた今のメンバーに再会し「地元で活動するのも楽しいかな」と割り切った。 90年代に盛り上がった石巻のレゲエシーンは冷えきっていた。自分たちで盛り上げよう。地元でレゲエイベントを主催するほか、ゲストに呼ばれて各地をめぐる。 「音楽で遊ぶ」ことには誤解も多い。音で苦情が来たり、怪しげに思われたり。やっていることをもっと見せて、偏見をなくす努力をしなければ。そんなことを考える。 祭りの日に店の前でバーベキューをしながら音楽をかけてみた。すると見知らぬ高校生に声を掛けられた。「かっこいい」「レコード回してみたい」。後日、講習会を開いた。 「音楽で遊ぶカルチャーをちゃんとやって、若い子たちに遊び場をつくりたい。生活あっての音楽で、これで売れようとかじゃない。カルチャーを作ろう、根付かせようと」