「俺は石巻最初で最後のラッパー」地方ミュージシャンの願いとジレンマ
幻に終わった寿ダンスホール、「レペゼン石巻」の自覚
東日本大震災はまちを一変させた。 全国からボランティアが集まり、一部は留まって街づくり団体が生まれた。関係者の集まりでDJをやってみると思いのほか好評だった。空き店舗を利用した「寿ダンスホール」設立の話が自然にまとまり、支配人になった。 助成金のコンテストに応募した。「石巻に行きたくてたまらなくなる理由を作れる場にしよう」とプレゼンで訴えた。見事2位に入って50万円を獲得、機材をそろえた。オープニングイベントには100人以上が集まる上々のスタートだった。 軌道に乗るかと思われたダンスホール。ところが物件の問題があとになって分かり、一夜限りであえなく閉鎖に追い込まれてしまう。 早すぎる夢の終わり。でも音楽はやめられない。 直後の2014年7月末、石巻で毎年恒例の「川開き祭り」。音楽をかけ、かき氷を売ってみた。花火も見ずに踊りだす人がいて「やべ、これ、もう一回やりたい」。同じ年の盆には「町じゅうがダンスホール」をコンセプトに巨大スクリーンでやるテレビゲーム、バーベキューなど何でもありの野外イベントを開催。その後の1年で30~80人が集まるイベントを7回やった。今夏も企画中だ。 地元ラジオで番組を持ち、若者相手にラップ塾を開く。一緒に楽しめる人が増えれば十分。「担い手の創出とか言われると違和感しかない。そういうのは専門の人がやればいい」。しかし震災後の石巻を知りたいと訪れる人と交流し、一連のイベント活動に興味を持ってもらえることもあった。「文化の地場産品みたいなものの一端を回してるんだな俺、みたいになって、アララって」 芽生えつつある「レペゼン石巻」の自覚。ラップの世界で「レペゼン」といえば、「土地を代表する」という意味だ。
もとは酒飲み文化、その中心に音楽がある
石巻には70~80年代からさまざまな音楽シーンがあったという。 伝説のロックバンド・グレイトフルデッドのファンの店、コーヒーショップ「ROOTS(ルーツ)」を営む榊顯雄さん(54)。石巻の音楽シーンを長年見てきた人だ。 「もとはといえば酒飲み文化があるからだよね。漁から帰って、魚を揚げて、町にぱーっと飲みに行く。酒飲みの中心に音楽があって自然と盛り上がる、という感じ」。 外国文化が入るのも早かったらしい。70年代は米西海岸に行ってサーフィン文化を、90年代にはジャマイカからレゲエ文化を持ち帰る人がいた。 震災後の大規模な人の流入はまちに刺激を与えた。「(楽団ひとりのラップみたいな)新しいシーンが生まれた。定期的なイベントをして、仲間を増やしていけるといい」 もう一人のローカルミュージシャンも場を作った。「音楽と遊ぶカルチャー」のために。