モーリーの予測。米大統領選で激戦州の「普通の人」は、ハリス・ウォルツという「退屈」を選ぶ?
大統領選挙には全米の有権者が票を投じますが、現実的に勝敗の行方を握るのは、激戦州(スイングステート)のまだ投票先を決めていない有権者の動向です。 トランプが訴える「俺についてこい」という〝ディール(取引)〟には、非常に大きなボラティリティが内包されています。それは目的地に早くたどり着く可能性もありそうに見えるけれど、大事故のリスクも高い、ブレーキ未搭載のマシンのようなもの。 そしてそのマシンには、実は一部の富裕層だけに有効なエアバッグが装備されている一方、それ以外の人にはシートベルトすら用意されていないかもしれません。 株主と富裕層のために短期的な利益の追求が構造的に奨励される経済状況にあって、企業が公正な労働分配に貢献することはますます困難になり、「努力目標」にとどまり続けています。その社会不安にポピュリズムがつけ込み、大衆が「劇的な解決」へとすがるさまは、先進国、途上国を問わず蔓延しています。 一方のハリスは、検察官出身のエリートで、初の女性大統領への期待を除けば、良くも悪くも驚くような発信はありません。副大統領候補も極めて対照的で、トランプが自身の分身のようなエクストリームなJ・D・ヴァンス上院議員を選んだのに対し、ハリスが選んだのは「普通の人」、ミネソタ州知事のティム・ウォルツでした。 派手さはないけれど、バーベキューにいたら人知れず肉を焼いたり配ったり、皿を片づけたりと粛々と仕事をしてくれそう――そんなイメージの人物です。そのハリス・ウォルツ陣営は、再分配の強化を経済政策の柱のひとつにしています。 あくまでも個人的、かつ感覚的な観測になってしまいますが、アメリカの無党派層は今のところ、のるかそるかのボラティリティにベットする雰囲気には見えません。大統領選直前の10月の時点で米経済が安定していれば、あるいは多少後退気味でも軟着陸できる状況なら、無党派層はボラティリティ政治から距離を置こうとするのではないか。 言い換えれば、勝負のカギを握る層はトランプから見れば〝しけったマッチ〟になるのではないかということです。 ただし、状況が一変するケースももちろん考えられます。例えば、イスラエル・パレスチナ問題がさらにこじれ、アメリカとイランの対立や軍事的な摩擦が進行すること。 危機的状況においては、有権者の深層心理に「女性が大統領になって本当に難局を乗り切れるのか」という(特になんの証拠もない)保守的なアングルが広がるかもしれません。国内で大規模なテロ事件が起こるなどした場合も、同様の流れが生まれる可能性はあるでしょう。 最後にもう少しだけ、個人的な雑感にお付き合いください。 最近あらためて感じるのは、政治でも経済でも環境、格差、人権などの問題においても、アメリカの人々が〝賢者〟になってくれないと困るという身もふたもない現実です。一見意味がなさそうな、しかし実は大切なルールをアメリカが大事にするのか、それとも壊していくかで、世界のセーフティネットの強靱さは大きく変わるのです。 派手な儲け話を吹聴し、破壊の快楽を支持の吸引力とする人物に熱狂するのではなく、着実に、つつましく運用していくポートフォリオを組むのが一番なんだ、という機運が高まってほしい。偉大ではなく、普通のアメリカ。それこそが、アメリカが地球に対してできる最大の貢献ではないかと私は思っています。