「みんながこの状況を過度に恐れすぎている」――沢木耕太郎が「旅なき日々」に思うこと【#コロナとどう暮らす】
人生の未来予想図は、今も昔もない
「僕は『こうなりたい』というような思いを持たないタイプの人間です。今、目の前にある仕事をやってきただけで、自分の生き方、方向性なんて考えたこともなかったし、今もないです。ライフワークとして書きたいというものもない。これは面白そうだからやってみようかなっていうことは常にあるけれども、ごくごく近い距離のことしか考えずに生きてきたような気がします。だから、さっきの話に戻ると、例えば明日、新型コロナウイルスに感染して重症化して、1週間後に死んでしまっても、1年先にやりたいということもないから、構わないわけ、全然。自分の好きなことだけをやってきたので、『ここで終わり』って言われても、神さまに不平は言わないっていうことなんです」 こんな書き手になりたい、こういう仕事がしたいと思うことは、なかった。 「やりたいことだけをやってきたらこうなったっていう、それだけの話だから。だけれども、それを貫くためには、リスクがある。ちょっと偉そうなことを言うようだけど、力が必要だと思う。やりたいことだけをやって生きるには、やっぱりこちらの力量が必要だし、場合によっては、相手を納得させる話術だったり、政治力も必要になる。僕は、基本的には、ほとんどの仕事の依頼を断ってきました。でも、どんな内容なのかは確認するようにはしていました。まれに、何千個に一つくらい、自分にとって『おっ』と思うことが起きるからです。そういう偶然に対しては、なるべく柔軟でいたい。自分のやりたいことを通す頑なさと、その柔らかさを併せ持って、僕である、という感じがします」 遠い先の目標を持たず、目の前だけを見ながら生きてきたという沢木が、人生の中で魅せられたのが、長距離の移動を伴う「旅」だった。作家として、一人の人間として、沢木耕太郎にとって、旅とは何か。 「ちょっとかっこよく言えば『途上にあること』、要するにプロセスですよね。行く先のどこか、何かが目的なのではなくて、どこかに行くまでが『旅』。だと思う。僕にとっての旅は、やっぱりプロセスを楽しむものなんだよね。結果的にたどり着けなかったとしても、問題ないんです。行かれなかったっということがあっても、下世話な言い方をすると、『それは面白いじゃないか、ネタになるじゃん』と(笑)」 「たとえばケープタウンに行ってみたいということは、一瞬で決められることでしょう。そこまで行くのに3年かかろうが、目標を決めること自体には1秒かからない。そこへ行くこと、やりたいと思う仕事に何年もかかってしまうようなことは、もちろんあり得ます。僕は5年ほど続けている作業があるんだけど、それはやりたいことが5年経っても終わらないというだけの話です。それが少しずつ積み重なって、今ここに僕がいる、ということかもしれない」